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八.ミッション完了
 結局、あたしはその晩、小娘のところにお泊まりした。肌色のゴムのスイミング・キャップをかぶってガンジーを熱演する奴の写真が壁中に貼られた不気味な屋根裏部屋に。あんなところで眠ったら悪夢でうなされること間違いなしだから、あたしたちは当初の予定通り、夜通しガールズトークにふけったが、翌朝の太陽が昇る前に、あたしはお肌のお手入れをするため、一度自分のフラットに戻ることにした。小娘はせめて夜が明けるまで待ってはどうかと甘っちょろいことを言ったが、乙女がスッピンでおひさまの下を歩けるわけなどないではないか。ほんとにお子様なんだから! 一日五回のむだ毛のお手入れはレディーの必修科目だというのに、そんなことも知らないとは、あいつめ、尻毛もまだ生えそろっていないに違いない。
 そんな乳臭いガキのお相手はさっさと済ますことにすると、あたしは自宅で身支度を整え、いつもより早くクリニックに向かった。
「・・・あれ? おはよう、ザビエラ。今日はずいぶん早いね。どうしたの?」
 中に入ると、先生がすでに待合室のソファーで出来合のサンドイッチをぱくついていた。貴族だけど、今は一応、自立を目指して一人暮らししてるからね。フラットの家賃はパパ持ちだけど。
「僕は院長だから早目に出勤して、いろいろ準備しなきゃいけないことがあるけど、君はそんなに無理しなくていいんだよ、ザビエラ?」
 うっとりするような優しいお言葉ね。でも、あんたが早目に来てるのは、自宅のテレビの調子が最近悪いから、ここで早起きアニメを見るためだろうがっ。
「ああっ、何をするんだ、ザビエラ?!」
 あたしがテレビの電源を切ると、先生はブラウン管の中に消えていくスポンジボブに向かって悲痛な叫び声を上げた。
「ちょっと話があるのよ、先生」
 こう言って、あたしが隣に腰を下ろすと、先生はごくりと唾を飲みこみ、ソファーの上でお尻をずらして後ずさった。そうよ、もっと怖がりなさい! 女に話があるって言われたときは、大事なものを股に挟んで、地下鉄のホームの端までよちよち後ずさっていくのが大正解よ! そして、後ろも見ずに、地獄の底までまっさかさまに落ちていきな!
 と、心の中で叫びつつも、顔には聖母マリアのような慈悲深いほほ笑みを湛えて、あたしは切り出した。
「ねえ、先生。あの小娘がここに来てから、もう二週間になるわよね?」
「え・・・? サンディのこと? う、うん、そうだね、それくらいになるかな。でも、それが何か?」
「何かじゃないわよ! かわいい顔してしらばっくれれば、何でも許されると思ったら、大間違いよっ。ほら、もう一っぺん、言ってみな! あいつが来てから、もうどれくらいになるのかって」
「に、二週間だよ! なんで、朝からそんなに怒ってるんだよ、ザビエラ?」
 あたしがソファーに片膝立てて凄むと、先生は早速、泣きの入った声をあげた。
「とぼけるんじゃないわよ、このムク鳥! あいつが来てから、二週間経つのに、あんたは何をした? 何もしてやしないじゃないの! 力になってあげるんじゃなかったの? ひと月後のオーディションまでに、あいつのがたがた前歯を何とかしてやるんじゃなかったの? 突貫工事も可能なんじゃなかったの?!」
 先生はサンドイッチを取り落としながら立ち上がると、診察室のほうに後ずさった。逃がさないわよ、坊や!
「か、可能だとは言ったよ! だって、実際、やってやれないことはないもん・・・」
「じゃあ、なんでさっさとやらないのよ? オーディションまで、あと半月しかないのよ。歯を抜いたり削りまくった後は仮歯を入れれば、何とかごまかせる。でも、神経を取れば根幹治療をしなきゃならないし、抜歯すればしばらく傷口が痛むから、歌を歌うのに差し支えが出るでしょうが! ぼやぼやしてる暇はないのよ、今日にでも早速、治療に取りかからなきゃ、オーディションに間に合わないじゃないの!」
 先生が診察椅子のヘッドレストにぶつかってよろけると、あたしは襟首つかんで立たせてやった。
「そ、そうだけど・・・でも、君だって衛生士なら分かるだろう? そんな突貫工事みたいな治療はすべきじゃないって。二年くらいかけて、じっくり矯正すべきだよ。君だってそう思うだろう、ザビエラ?」
「でも、あんたは何とかするって約束したじゃないの!」
「だって、あの子がかわいそうだったから! でも、あの子も早く治療を始めてくれって催促しないじゃないか。自分でもやっぱり怖くなったんだよ」
「素人なんだから、怖さも何も分かっちゃいないわよっ!」
 じゃなきゃ、そもそもこんなクリニックに来やしない。「アマチュア精神」がモットーの歯科医院なんかに。
「だったら、なおさら、あの子にそんなひどいことできないよ! とらなくていい歯や神経を抜きまくるなんて」
「じゃあ、なんで、そのことをあいつにはっきり言ってやらないのよ?!」
 あたしは、五フィート九インチの僕ちゃんの襟首をつかんで、六フィート三インチ+五インチのピンヒールの高みまで持ち上げると、かわいい青い目をまっすぐのぞきこんでやった。
「い、痛いよ。離してよ、ザビエラ!」
 先生は宙であんよをバタバタしながら、ぴよぴよ声を出した。
「話し合いは目と目をまっすぐ見つめあってするもんでしょ、先生?」
「こ、怖くて話し合いなんかできないよ」
「しかたないわよ、先生。女は怒ると怖い生き物なんだから」
「君の怖さと力強さは、どう考えても女のレベルを超えているよ!」
「だから、レディーを怒らせるなと言っておるだろうがっ?!」
「わ、分かったよ! サンディーには、今日、はっきり言うよ! 普通の矯正ならしてあげるけど、突貫工事はやっぱり無理だって」
 あたしが手を離すと、先生はどさりと床に尻餅をついた。
「ひ、ひどいよ、ザビエラ! 君にこんな乱暴をされなくても、僕だって、近いうちにサンディーと話し合わなきゃって思ってたんだ。そりゃ、言いにくいから、先延ばしにしたいと思ってたのは事実だけど、でも、あの子だって、話せばきっと分かってくれるはずだよ。いくら夢を叶えるためとはいえ、自分の体を切り刻むような真似をするのは馬鹿げてるって!」
 馬鹿げてるですって? あたしが片方の眉をギュッと吊り上げると、先生は黙りこんだが、むすっと口を尖らせた顔つきから察するに、自分のほうが正しいと思っているようだった。でも、それはあたしだって同じよ。確かにあの小娘がやろうとしてることは馬鹿げてる。百人中九十九人は、そうだって言うだろう。でも、あたしには分かる。あたしだって、もしも麻酔アレルギーでさえなかったら、ジョージア姐さんと一緒に東南アジアで自分の体を切り刻んでたに違いないし、こんなに敏感肌でなかったら、レーザーで体中のうぶ毛を焼きまくってたに違いない。
 馬鹿げてるかもしれない。でも、あたしにはあいつの気持ちが分かる。だから。
「でも、あいつがあんたの話を分かってくれなかったら、そのときは、潔く約束を守りなさいよ、先生?」
「・・・でも、僕にはやっぱりできない」
 坊ちゃんは珍しく、頑固に言い張った。
「何言ってるのよ、先生? あんた、約束したのよ。それを今になって!」
 あたしになじられると、先生もキッとなって立ち上がった。
「でも、考えが変わるってことはあるだろう? 自分が正しいと思えないことは、やっぱりできないよ!それに、あの子は・・・たしかに乱杭歯だけど、それがなんだ? そんなの気にならないくらい、いい笑顔の持ち主じゃないか! なのに、そんなあの子の前歯を・・・」
「うるさいわねっ! あたしは許さないわよ。あんたのせいで、あいつの夢が・・・」
「やめてください、二人ともっ!」
 と、いつの間にか診察室の入口に小娘が立ちはだかって、小さな拳を震わせていた。
「サンディー・・・いつからそこに?」
「たった今、来たばかりです。でも、私の歯のことでケンカしてたんでしょう? 全部聞いたわけじゃないけど、分かります・・・お二人のケンカの原因を作ってごめんなさい。でも、もう、そんな必要はありません。だって、やっぱり、申し訳なさすぎるもの。ここに来て、毎日、子供たちと遊んでるだけなのに、高額な治療をただでやってもらうなんて。それに、先生にご自分の信条に反した治療をさせるわけにもいきません。先生みたいないい人に」
「サンディー!」
 先生は感激したような上ずった声を出したが、あたしは納得できなかった。
「ちょっと、小娘! そしたら、あんたのオーディションはどうなるのよ? 万全の態勢で臨みたいんじゃなかった?」
 奴はきゅっと下唇を噛んでうつむいたが、すぐに顔あげてきっぱり言い切った。
「もう、いいんです。最後の記念に一応、受けてみるつもりだけど、万全の態勢まで整える必要なんか・・・だって、今まで、散々オーディションを受けて来たのに、端役の一つももらえなかったんですもの。きっと才能がないんです。ガンジーを演じたことで、いい気になってたけど、とんだ思いあがりだったわ・・・」
 ねえ、ガンジーを演ることって、そんなに思いあがれるようなこと? だって、あのスイミング・キャップは・・・が、奴はあたしの戸惑いをよそに、しゃべり続けた。
「スターになれる人は、生まれたときから、もともとそうなんだと思います。あたしみたいなちびでも、やせっぽちでもなくて、ましてや乱杭歯なんかでもなくて・・・それに、この街で働いたほうが、大叔父さんたちだって喜ぶだろうし・・・だから、歯のことはもういいんです。ごめんなさい、お騒がせして」
「サンディー・・・」
 小娘は、しょんぼり坊ちゃんに向かって、にっこり肩をすくめてみせたが、
「いくじなしっ!」
 あたしはハイヒールをガチンと踏み鳴らしながら叫んだ。小娘はびくっと背筋を正した。もちろん、弱虫坊ちゃんも。
「あんたなんか、最後だろうが最初だろうが、金輪際、オーディションを受ける必要なんかないわよ!そうよ、歯を治す必要もないわよ。だって、あんたなんかいくら歯を直したって、受かるわけないもの!」
「ザビエラ!」
 肩に取りすがる先生を振り払いながら、あたしは叫んだ。
「そうよ、あんたなんか、一生、前歯と年寄りの大叔父さんを言い訳にして、屋根裏部屋の隅っこでくすぶってりゃいいのよ! ちびでなかったら、胸があったら、前歯が平らだったら、のど仏も平らだったら、上腕二頭筋も平らだったら、ひげが生えてなかったら、へそ毛も生えてなかったら、って一生ずっと、ほざいてなさいよ! 屋根裏は確かに、家の中で一番、空に近いわよね? 星に手が届きそうよね? でも、そこは空に近いだけで、空じゃないし、あんたもスターじゃない!」
 小娘はぽかんと半開きにしていた唇をゆっくりかみしめた。
「だって、あんたはただの弱虫だもの! あんたはスターでも、歌手でも踊り子でもない。いい? もしも歌が好きで、どんなときも歌い続けているなら、誰が何と言おうと、そいつは絶対に歌手なのよ。そいつの立っている場所がステージだろうと屋根裏だろうと、絶対に。ダンサーもそう、役者もそう、女もそう。心が乙女なら、タマがついてても女なのよ! いつかタイで手術を受けて女になるんじゃない。今、この瞬間、女になれない奴は、いつか女になることなんか絶対、できない。輝く笑顔があれば、どこに立ってても、あんたはスポットライトを浴びてスターになれる。今、この瞬間、にっこり笑って、一歩前に足を踏み出す勇気さえあれば。でも、あんたには無理! もちろん、オーディションなんか受けても無駄よ。今すぐ屋根裏に帰って、大叔母さんの手作りクッションに頭をつっこんで泣きながら、前歯をがたがた震わせてな!」
 小娘はハシバミ色の瞳を瞬きもせずに唇をかんでいたが、あたしが叫び終えると、大叔母さんのクッションに頭をつっこむため、永久に立ち去った。

 こうして、あたしの小娘追い出し大作戦は成功した。思いもかけない形で。
 ジョージア姐さんののど仏にかけた誓いを守り通したというのに、なぜか、あたしの気分はあまり晴れなかった。二人目の親友ができたと思ったら、次の朝にはそれを失ってしまったからかな。多分。そうかもしれない。もしかしたら。ひょっとして。
 姐さんにも言われたっけ。本物の女・・・あたしたちのようないい女じゃなくて、どこにでもいる平凡な一般女性と友達になりたいなら、辛口トークは少し控えたほうがいいって。すごく癪だけど、姐さんの言うことって、いつも正しいのよね。
 でも、あたしには、このクリニックがある。衛生士の免状もある。ひげもある。・・・いえ、うぶ毛もある。
 それに何より愛する先生がいる。
「ねー、ザビエラ。ちょっと、こっちに来てよ・・・ねえ、ちょっとだけでいいからさ・・・聞こえないの? ひどいよ、無視したりして。ちょっと顎を貸してくれって言ってるだけじゃないか。よし、君がその気なら、僕も君の雇用主として命令する! 今すぐここに来て顎を貸すんだ、ザビエル・ロドリゲ・・・」
「だから、あたしはザビエラ・ロドリゲスよ! 男みたいな名前で呼ぶのはやめてちょうだいって、何回言ったら分かるの?」
「やっと、こっち向いてくれたね、ザビエラ!」
 ああん、もう! 反則だわ。そのかわいい笑顔。その顔でお願いされたら、なんだって言うこと聞いちゃうじゃないの。ずるいんだから、先生ってば。
 あたしは、にこにこと手招きする先生に従って、レントゲン室に入った。
「はーい、じゃあレントゲン撮影する間、ちょっとだけ、じっとして我慢しててねー」
 先生は営業用の猫なで声を出しながら、あたしの顎にレントゲン機器を当てがった。まったく、あたしのケツ顎X線写真を何枚、撮れば気が済むのよ。でも、この笑顔で撮らせてほしいって頼まれたら、下のおケツだって出しちゃうわよねえ。もちろん大喜びで。
「ねー、ザビエラ、君のケツ顎、また一段と毛深くなった?」
 と、先生は、ふいに機械をどけると、人差し指で、あたしの顎をさすり始めた。
「失礼ね! さっき剃ったばかりよ。先生、毛並みに逆らって撫でてるでしょ? ちゃんと毛の流れに沿って撫でれば・・・って、もしも本当にあたしのケツ顎が毛深くなったんだとしたら、それはあんたにしょっちゅう、放射能を浴びせられてるからじゃないのっ?!」
「これで最後にするからさー。だって、こないだ撮ったやつ、子供たちに持ってかれちゃったんだもん」
 はいはい・・・もう好きにしてよ。あたしが大人しくなると、先生も機械を当て直したが、
「速達だよー、先生!」
 いつもの郵便屋のオヤジの声がして、あたしたちはそろってレントゲン室を出た。冊子小包やなんかはよく来るけど、速達は珍しい。
「はい、お二人さん宛てだよ」
 あたしたちを見ると、オヤジはその間に郵便物を突き出した。お二人さん宛て? キャー、夫婦みたいじゃない、まるで? あたしは、封筒に並ぶあたしたちの名前を見ながら、わくわくと胸を高鳴らせた。名字は別々だけど、今どきはそういうカップルも結構多いしね! 誰かしら、こんな素敵な郵便物を送ってくれたのは?
「サンディーからだ!」
 先生が封筒と一緒に声も裏返しながら叫ぶと、オヤジもわけ知り顔に頷いた。あたしらより先に、差出人の名を見てたわけね? ちゃっかりしてるんだから。
「それ、前に、ここで受付嬢してた子だろ? あの子、かわいかったよなあ。なんで急に辞めちゃったの? わざわざ手紙をよこすなんて、どっか遠くに引っ越しちゃったとか?」
 先生は、ちらっとあたしを見上げたが、黙って肩をすくめると封筒のすき間にペーパーナイフを差しこんだ。封筒には、サンディーの名前しか書かれていなかったし、消印もよく見えなかった。
「ザビエラ、これ・・・!」
 先生が便せんを開いて叫び声をあげると同時に、細長い紙切れが二枚、ひらひら床に落ちた。あたしはオヤジと一緒に一枚ずつ、それを拾い上げた。それはミュージカルのチケットだった。レスタースクウェアの劇場で公開されるミュージカルのチケット。
「サンディー、ちゃんとオーディションを受けに行ったんだって!・・・乱杭歯のまま。乱杭歯でも胸を張って、歌を歌いに行って来たんだって。自分は歌手で、ダンサーで、スターで、ザビエラみたいなとびきりのいい女だって思いながら、歌ってきたんだって。そしたら、今度の土曜が初日の『ダライラマ!』の子坊主役に欠員が出たから、急遽、採用されたんだって! 今はロンドンに住んでるんだって。暮らし向きが落ち着いたら、僕のアドバイス通り、普通に矯正してくれる歯医者さんを向こうでみつけるつもりだって・・・でも、ここは書き間違いじゃないかな? ザビエラみたいないい女ってとこは・・・」
 目に便せんを近づけている先生の手から、それをひったくると、あたしも一行目から読んだ。なによ、どこも書き間違ってなんかないじゃないの!
「あの子、女優さんだったの?! すごいなあ!」
 はげヅラ専門女優だけどね。オヤジが感動しながら差し出すチケットを受け取ると、
「ただいまぁ、先生、ザビエラ!」
 ガキどもがどやどや入りこんできた。
「ねえ、何それ? ちょうだい」
 と、ガキは、それが何か確認し終わる前にねだり始めたが、あたしはチケットを持った手を高くあげて、べーっと舌を出した。
「やだよーだ! これは絶対、あげないもんねー!」
「大人げないぞ、ザビエラ!」
「オカマげなくて結構! だって、あたしはレディーですもん」
「嘘泣きするぞ!」
 ガキどもは騒ぎ出したが、
「ケツ顎グッズはあげても、こればっかりはあげられないなー!」
 いつも気前のいい坊ちゃまも、今日ばかりはにやにやと首を振った。
「ずるいぞ、ずるいぞ! どうしてもくれないなら、ジャイアントスウィングしてよ!」
「そうだよ、一人、三セットずつだよ!」
 しかたないわねー、もう。あたしは受付カウンターから画鋲を一つとってくると、ちょっと背伸びをして、天井にチケットを刺し留めた。よし。これでガキどもの手は届くまい。僕ちゃんの手も。
「さあ、じゃあ、一人、一セットずつよ!」
「ずるいよ、三セットだよ!」
「一.五セット」
「二.五セット!」
「一.七五セット」
「二.三セット!」
「取引成立!」
 あたしがオークションハンマーを打ち鳴らす真似をすると、奴らはずるいずるいと騒ぎ出したが、外に出るあたしの後について、順番の列を作り始めた。あ、最後尾に先生が・・・と思ったら、その後ろに郵便屋のオヤジまで!
「なんかよく分かんないけど、俺も頼むよ!」
 ほんと、この国の奴らは行列好きなんだから・・・! あたしは、帽子の縁に指をあててウィンクしているオヤジをにらみつけながら、ため息をついた。
 でも、なぜか気分は、さっきよりずっと晴れていた。
 だって、あたしにはこのクリニックがある。衛生士の免状もある。うざいガキどももいる。郵便屋のオヤジまでいる。それに愛しの先生と、徹夜でガールズトークできる親友が二人もいる。のど仏もあるけど、それが何か?
 今日は十二月だってのに春みたいに天気がよくて、しかも、あたしにはこんなに沢山、大切なものがあるのに、ふさぎこんでなんかいられない。乙女の毎日に、そんなことしてる暇はないのよ! あたしはくそガキの脇の下に手を差しこんで高く持ち上げながら、笑った。
<終わり>

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