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四.看板娘
「うわー、サンディー、とっても似合ってるよ、その白衣!」
「ありがとう、先生。でも、ちょっと恥ずかしいわ。私、普段、ジーパンばっかり履いてるから」
 小娘は、ブカブカの白衣の下からのぞく鶏がらみたいな足を、もじもじとくねらせた。
「恥ずかしいのは、ピチピチの白衣を着させられてる僕のほうだよ! それと、膝上八インチの改造ミニスカ白衣を着てる、あのおじさん」
「あたしは、おじさんじゃなくて、おばっ・・・お姉さんよ!」
 失礼ね! でも、奴らはあたしを無視して話し続けた。
「でも、君はすごく似合ってるよ、サンディー。涙が出そうだな。ここで普通に白衣を着こなしてる人を見られるなんて。・・・大丈夫。君の白衣は、絶対、ザビエラに改造させないから!」
 頼まれたって、しませんよーだ! 貧弱小娘の白衣なんか、ブカブカだろうがキツキツだろうが、知るもんですか。
「君の白衣も、君のことも、僕が守るから安心して!」
「ありがとうございます、先生!」
 ちょちょちょちょ、ちょっと、白衣だけじゃなく、君のことも守るですって?! 聞き捨てならないわ! あんたも遠慮しなさいよ、小娘め。あんたを守ってくださるという、ひ弱な坊ちゃまの重い荷物を持ち運んだり、いざというとき暴漢からお守りしたりするのは誰の役目だと思ってるのよ? 過保護なパパにガタイのよさを見こまれて、身辺警護もできる歯科衛生士として雇われたのは、どこの誰だと思ってるのよ?! い、いえ・・・先生があんたなんかの身辺警護にうつつをぬかしていたら、超スーパーモデル級のスタイルと美貌を見こまれて雇われたか弱いあたしを、誰が守ってくれるというのよ? そうよ、守ってほしいのは、ひげのそり過ぎで最近、すっかり敏感肌になってしまったあたしのお肌よ! いえ・・・人よりちょっとうぶ毛が濃くて、ガラスのように繊細なあたしのお肌よ・・・
「歯の治療を始めるのはもう少しだけ、待ってね。前にも言ったけど、僕の専門は一般歯科診療だから、矯正や審美歯科に関して、もうちょっと調べてから取りかかりたいんだよ。だって、君に最高の笑顔をプレゼントしたいから!」
「はい、先生!」
 な、なによ?! 先生ってば、デレデレしちゃって! ただで治療してやる上に、白衣とサンダルまで無料貸し出し中なんだから、プレゼントはもう十分じゃないのさっ。
 あんたの前歯なんか、あたしが石膏をたっぷりなすりつけて、土壁みたいにまったいらにしてあげるから、早く診察椅子に乗りなさいよっ! あたしは小娘をとっ捕まえるため前に進み出たが、 
「僕の気持ちを分かってくれてうれしいよ、サンディー。なるべく早く治療を始めるからね・・・」
 おっ・・・?! 先生の小鼻がひくひくしてる。心にもないことを言ってるときのサインだ。僕ちゃん、嘘をつくのが苦手だからね。ポーカーフェイスを気取ってるつもりでも、心の動揺がすぐさま表情に出てしまう。
「なるべく、無駄な抜歯や抜髄は避けたいし・・・」
 先生は小娘に背を向けると、小さくつけ足した。ははーん、これが坊ちゃまの本音ね。突貫工事も可能だって安請け合いした手前、約束を守らないわけにはいかないけど、やっぱり、あの子の前歯をアマゾンの熱帯雨林みたいにバサバサ切り倒すのには抵抗があるらしい。今さらなによ、このエセ・エコロジストめ! あんたの専門知識の範囲内で処理するなら、上の前歯も下の前歯もずらりと抜いて、ブリッジを入れるしかないでしょうが? にわかじこみの審美歯科技術を使うにしても、捻転のひどい右上2番と左の側切歯は抜かなきゃならないだろうし、他の歯だって大々的に削ることになるだろうから、何本、神経を残せるか見ものだわよ。そうやってあの子の前歯をなぎ倒した後は、とりあえず急場しのぎの仮歯を入れてごまかすにしても、さっさととりかからないと、ひと月後のオーディションには間に合わないわよ。
 どうする気よ、先生? 美容整形医みたいな仕事を引き受けちゃってさ。ぐずぐず先延ばしにしてごまかすつもりかもしれないけど、そんなのうまく行くと思ってるの? オーディションがかかってるんだもの、貧弱小娘だって、本気でかかってくるわよ。本気になった女ほど怖いものはないんですからね。男の卑怯な言い逃れなんかに、一歩だって後ずさりすると思ってるの? 甘いわよ、坊ちゃん! 知らないわよ、何があっても。助けてなんかあげないわよ。キャビネットもどかしてあげないし、トイレに落とした携帯だって、もう拾ってあげないからね。絶対に、絶対に知らないからね、もう! 
「じゃ、印象のとり方から、練習してみよっか? あ、印象っていうのは、歯の型をとることね。オレンジ色やブルーの柔らかくてヒヤッとするものを、口ん中にオエッとするまでつっこんで、型をとられたことあるでしょ? あれのことだよ。まずは印象材の練り方から教えるね。このシリコン製のカップにオレンジ色の粉と水を入れたら、ヘラでよく練って・・・そうそう、あ、もうちょっと手首のスナップを利かせて・・・ほら、こんな風に・・・うん、うん・・・」
 と、あたしが本気で心配している間に、先生は小娘の背中に覆いかぶさって、奴の手をつかみ、文字通り手取り足とり、印象の練り方を教え始めた! そんなの、シャカシャカかき回せばいいだけじゃないようっ! テニスのコーチじゃあるまいし、そんなに体を密着させる必要がどこにあるってのよ。小娘め、あんたなんか、印象練るのは十年早いわよっ。そこの隅で壁に向かって、ヘラの右回しを百回、左回しを千回素振りしてから、出直してきなっ。うちは体育会系クリニックなのよ! 男だろうと、女だろうと、オカマだろうと、身長五フィート九インチ以下の奴は出入り禁止よっ。坊ちゃんはぎりぎりセーフだけど、あんたは書類で不合格!
 あたしは鼻息も荒く先生に飛びかかると、小娘から引き離してやった。
「ザ、ザビエラ、何するんだよっ?! 痛いじゃないか」
 先生はあたしに首根っこをつかまれながら喘いだ。
「何よじゃないわよ。歯科衛生士の免許も持ってない、こんな小娘に患者の印象とらせようなんて、先生、気はたしか? 法に触れるわよ!」
 小娘はヘラを片手に後ずさると、おどおどと首をすくめた。そうよ、あんたなんか、そのブカブカ白衣の中に頭をひっこめて、泥亀よろしくすっこんでな!
「うーん、たしかにまずいかもね・・・。じゃ、サンディーには受付を担当してもらおうかな。それなら資格もいらないし」
「ちょっとぉっ! 受付嬢もあたしの仕事よ!」
 このクリニックの看板娘の座は渡さないわよ!! が、先生はにやりと笑って、あたしの肩に手を置いた。
「君は立派な免状を持ってるからね。もっと大事なことをしてもらうよ。キャビネットをどかしたり、くるみ割り人形の金属部品をペンチでまっすぐにしたり、ゴキブリが出たら殺したり、トイレが詰まったら配管を直したり・・・」
「全部、力仕事か、汚れ仕事じゃないのようっ!」
「患者さんが来たら、そのときはちゃんとした仕事をしてもらうよ」
 このクリニックには、ちゃんとした仕事がないってことが分かってるんなら、もっと真面目に働きなさいよっ! 例えば、そこの小娘から、ガッポリ治療費とってさぁ! あたしはマノロ・ブラニクの靴の踵を打ち鳴らして、地団駄を踏んだが、
「こんにちはー! 先生あてに小包が来てるよ」
 待合室から、いつもの郵便屋さんの声がした。はいはい。どうせ医療器具メーカーから送りつけられたサンプルかなんかでしょ。今、行くわよ。
 が、小娘がちゃっかり先回りして、受け取りにサインをしていた! 抜け目がないったらありゃしない。
「あれー、新しい衛生士さん? 初めて見る顔だね」
「いいえ、ただの受付係です」
「受付嬢かぁ! いいねえ、若くてかわいくて。前の受付おじさんはどうしたの? やめちゃった?」
「ここにいるわよっ!」
「あ、悪い、悪い! まだいたんだ」
 あたしが診察室の戸口から睨みつけると、郵便屋のオヤジはたいして悪びれもせずに頭を掻いた。と、何かがあたしの脇の下をちょろちょろ通り抜けたと思ったら、
「そうなんだ、彼女が、うちの新しい看板娘のサンディーだよ。看板おじさんのザビエラともども、よろしくね!」
 先生が前に進み出て、けらけら笑い声を立てていた。それにつられるように、オヤジと小娘も笑い出した・・・許さないわよっ、あんたたち! このクリニックに看板娘は一人で沢山なのよ! そして、それは誰なのか、すぐに分からしてやるから、見てらっしゃいっ。
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