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五.追い出し大作戦
「サンディーお姉ちゃん! また面白いお話、聞かせてー」
「いいわよ。でも、みんなで仲良く、いい子にしてるって約束できるならね?」
「するするー!」
「わーい!」
 今日もうちのクリニックに、まともな患者は一人も来ていなかったが、待合室はサンディーのおとぎ話を聞きにきたくそガキどもでいっぱいだった。あいつらめ、あたしにジャイアントスウィングをさせるときとは、態度が大違いじゃないのよっ。なぜ、あの小娘のチリチリ頭をひっつかんで、背中でフリークライミングを始めないのよ? なぜ、小指で腕立てして見せろとおねだりしないのよ? なぜ、ガキを三人肩に担ぎあげながら、スクワットをしてくれとうるさく頼まないのよ。なぜ・・・
 と、あたしが哲学的思索にふけっている間に、いつのまにか先生までがガキどもと一緒に待合室の床に体育座りして、サンディーを取り囲んでいた。なんなのよ、これは!
 あたしは一人、診察室の戸口から奴らをにらみつけた。
「昔、昔、あるところに貧しいけれど、とても心の美しい娘が住んでおりました・・・」
 何よ、その娘は貧乏で乱杭歯だけど、心がきれいだから、歯医者で貴族の王子様に見染められたとでも言うつもり? 世の中、そんなに甘くないわよ!
「ちょっと、ちょっと、子供たち! そんなきれいごとばっかのおとぎ話より、あたしが知ってる、本当にあったゲイの怖い話のほうがずっと面白いわよ!」
 あたしの親友のジョージア姐さんが東南アジアの無認可クリニックで受けた性転換手術の話とかさあ! くそガキどもの目がきらりと光ったが、
「だめだめ! ザビエラの怖い話は本当に怖いから。泣くまで脅かすから、絶対に聞いちゃダメだよ。さあ、さあ、みんな、サンディーお姉さんの楽しいおとぎ話を聞こうよ!」
 先生が余計なことを言って邪魔をした。なによ、いくじなし。今どきのくそガキは、もぐりの医者に麻酔が半効きのまま、タマをもぎりとられたぐらいの話で泣き出したりしないわよ。あんたじゃあるまいしさ、坊ちゃん。
「娘の仕事は糸を紡ぐことでした・・・」
 と、サンディーがおとぎ話の続きを語り出した。女優志望だけあって、身振り手振りを交えながら、一人何役もの声を使い分けるから、あたしもついそっちに気をとられてしまったが、そのとき受付カウンターで電話が鳴った。いけない、いけない、あいつの演技に見とれてる場合じゃないわよ。あいつが来てからもう一週間は経ってるんだから、さっさと追い出すことに集中しないと。小娘はすっかり自分の一人芝居に没頭していたから、あたしが受話器をとると、
「もしもし、キャラガーですが、今からうちのジョーを診察してもらえますか?」
 久しぶりの患者だ! まともな患者とは言えないけど、キャラガーさんちのジョーは、歯を治療するためにくる数少ない患者の一人だ。
「ええ、もちろん。いつでも大丈夫ですよ」
「じゃあ、三十分後くらいに伺います」
「お待ちしております」
 あたしは受話器を置くと、ひひひ、とこみあげてくる笑いをこらえた。ジョーにはいつも困らされてきたけど、今日ばかりはいいときに来てくれるじゃないの! さあ、今日こそ、あの小娘を追い出すチャンスよ!

「じゃあ、あたし、リップクリームを切らしちゃったから、駅前のドラッグストアまで買いに行ってもいいかしら?」
「いいよ、暇だし」
「サンキュー、先生!」
「ゆっくりしてきなよ。どうせ患者さんなんか来ないし、もし来ても、サンディーが手伝ってくれるしさ」
 ひひひ! 言われなくってもそのつもりよ! あたしは白衣の上にコートを羽織って、ミニトートを手に下げると、もうすぐジョーが来るってことは誰にも言わずにクリニックを後にした。そして、最初の角を曲がるとすぐに建物の裏手に回って、窓からこっそり診察室の中を覗きこんだ。今こそ、あんたの身の破滅のときよ、小娘! くそガキにおとぎ話を聞かせるだけで歯医者のアシスタントが務まるなんて思われちゃ困るのよ。歯科医院の本当の怖さを今こそ、思い知るがいいわ。そして、がたがた前歯のまんま、泣きながら白衣を脱いで、永遠にここから去りな! 
 と、表の通りに車が止まる音がして、泣き叫ぶ子供とそれを叱るお母さんの金切り声が聞こえ始めた。ジョーとお母さんだ! クリニックに入る前から、もう、この騒ぎとは頼もしい限りよ、ジョー! もっと泣いて、わめいて、暴れて、蹴って、ひっ掻いて、仰向けにひっくりかえって、ママと、先生と、そしてあの思いあがった小娘を困らせてやってちょうだい!! 
 あたしは腰高窓の下にしゃがみこみながら、笑いをこらえた。頼んだわよ、ジョー!
 普通の患者は、待合室に「アマチュア精神」なんて額の飾られてるクリニックに大事な子供を連れてきたりはしない。でも、ジョーのママには選択の余地がない。あまりの聞き分けのなさに半径二十マイル以内のすべての歯科医院から出入り禁止を言い渡された子供を持つお母さんには、歯医者をえり好みしている余裕などないのだ。二回目以降もジョーを受けつけてくれる医院はうちしかないし、殴られても、蹴られても、ひっかかれても、ミッキーマウスの声真似をしながら、たっぷり三時間かけて診察してくれるおつむの弱い医者もエドワード坊ちゃましかいない。そして、それでもガキが言うことを聞かないときは、ガキを膝の上に乗せて、人間チャイルドシートよろしく羽交い絞めにできる鋼鉄の筋肉を持った美人歯科衛生士もあたししかいない。
 そうよ、これが歯科医院の真実の姿よ! 思い知るがいい、小娘よ! 先生と一緒に、鼻の頭をくそガキにひっかかれまくればいい! 鳩尾にくそガキの足をくいこませればいい! 指に思いきり噛みつかれればいい! うがいの水をぶっかけられればいい! 最終兵器であるあたしがいないクリニックが、ジョーの攻撃をどう耐え抜けるか、ここでたっぷり見物させてもらおうじゃないのっ!
 あたしは高笑いを上げそうになるのをかろうじてこらえたが、すでにジョーが突撃したはずの診察室から、悲鳴や泣き声が聞こえてこないことに気づいた。あれ・・・? いつもなら、とっくに大騒ぎになっているはずなのに。
 あたしはしゃがみこんだまま背筋を伸ばすと、注意深く中を覗きこんだ。そこには、いつもとうって変わって大人しく診察椅子に座っているジョーの姿があった・・・なぜ? ガキめ、ママに麻酔銃でも撃たれたのかしらん? ナイスアイディアだけど、ママったら余計なお世話よ。今日はたっぷり迷惑かけてほしかったのに! が。
「ジョー、今日はいい子で、本当に偉いねー。なんかいいことでもあったのかな?」
 先生にミッキーマウスの裏声で話しかけられると、くそガキは澄まし顔で答えた。
「世界同時不況の嵐が吹きまくってるのに、いいことなんかあるわけないよ、先生。でも、今日は、スカートを履いた怖いおじさんがいないから」
 何っ?! あ、あたしがいないから、大人しくしているですって?! い、今まで、ずっと、あたしが怖くて暴れていたとでも言うつもり? じゃ、じゃあ、この近隣二十マイル以内の歯科医院すべてで暴れてきたのも、全部、あたしのせいなわけ? 冗談じゃないわ!
「あのお姉さんは、優しそうだから好き」
 が、ガキは診察室の隅に遠慮がちに立っていたサンディーを指さしてのたまった。
「そうか、ジョーはかわいいお姉さんの方が好きかぁ。僕もだよ!」
「先生、声がいつものに戻ってる」
「ミ、ミッキーもかわいいお姉さんが大好きだよ!」
 先生が慌てて裏声で繰り返すと、ガキはよろしいとばかりに重々しく頷いて、
「あのお姉さんが手を握っててくれるなら、先生に好きなように治療させてあげるよ」
 と、サンディーをまた指さした。ガキめ、さては受付でサンディーに一目ぼれして、それで突然、いい子に変身したってわけね?! なにさ、今まで暴れてたのは何もかもあたしのせいだったようなこと言っちゃって、本当は、ただ貧弱小娘相手に色気づいただけじゃないのさ。ふんだ、鼻たれ小僧には小娘がよくお似合いよ! でも・・・でも!
 許せないわ! ベテラン衛生士のあたしを差し置いて、あんな小娘が、しかも衛生士の免許ものど仏もない小娘が、このクリニックでのあたしの地位を脅かすなんて! 何よ、くそガキの手を握りながら、ちゃっかり先生とほほ笑みを交わしあったりして! 見てらっしゃい、今度こそ、絶対にあんたを追い出して見せるから!
 あたしは、あたしとジョージア姐さんののど仏にかけて誓った。

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