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六.尾行大作戦
 しかし、あの小娘は、詰め物の中で進行していく虫歯のように、着々とあたしと先生のクリニックを侵食し続けていた。
 あいつが来てから早二週間。聖なるのど仏の誓いにかけても、一刻も早く追い出してやらなければならないのだが、クリニックの中にいる限り、先生があいつの肩を持って邪魔をするから、何を企んでも裏目に出るばかり。だから、あたしは先生のいないところで、勝負をかけることに決めた。そう。仕事が終わった後にあいつを尾行して、あいつの本性を暴いてやるのよ。
 子供好きで、老人にも優しくて、おつむの弱い歯科医にももちろん優しくて、まじめで、いつもにこにこしてて、みんなに好かれるいい子ちゃんだなんて、話ができ過ぎてるわよ! おまけに歌と踊りが得意ですって? 生言ってんじゃないわよ! 何か裏の顔があるに決まってるわよ!  こっそり抜いてるから分からないだけで、本当は顎に剛毛の一本や二本、生えてるに違いないわよ!歌が得意だなんて言ってるけど、それだって本当かどうか分かんないわよ。だって、この二週間、子供たちの前で散々、一人芝居をしてるけど、歌は一度も歌ってやらないじゃないの? きっと何か裏があるに違いないわ。ミュージカル女優になりたいなんてのは真っ赤な大ウソで、じつはアダルトビデオのオーディションでも受けに行くだけかもしれないわよ。ええ、きっと何かあるわよ、あの女には。絶対に、あたしが真実を暴いてみせる! そして、このクリニックからはもちろん、健全なる市民社会からも永久に追放してやるわ!
「じゃ、お先に失礼しまーす」
「お疲れ、ザビエラ!」
「お疲れ様です、ザビエラさん!」
 あたしはハンドバックを握る手の小指を立てながら、誰よりも早くクリニックを出ると、すぐ隣の建物との間に身をひそめた。よし、あいつも早速、出て来たわ・・・!
 ぼろっちいコートの襟をかき合わせながら、短い足をせわしなく交差させて小娘が通り過ぎるのを確認すると、あたしは隙間から飛び出て奴の跡を追った。

 しめしめ。あいつめ、家とは反対の方角に歩いていくじゃないの。みなしごのあんたを親身に育ててくれた大叔父さん夫婦のところにさっさと帰らないで、どこに寄り道しようってわけ? 何か悪いことをしに行くに決まってるわよね!
 あたしはうきうきスキップしたくなるのをこらえながら尾行を続けた。
 どうやら駅前の繁華街にでも行くつもりみたいね・・・あ、ドラッグストアに入った。マニキュアでも万引きするつもりかしら?! あたしは現場をすかさず撮影するため、ハンドバックからデジカメを取り出して電源を入れた。シャッターチャンスは逃さないわよ!
 が、あいつはまっすぐ薬剤師のところに行くと、大叔母さんの胸やけに効く薬をよこせとかなんとか、愚にもつかないゴロを巻き始めただけだった。なによ、つまんない! どうせなら「オカマさんの胸を大きくする薬をください」くらいの言いがかりはつけなさいよ、いくじなしめ。あたしが代わりにやったろか?!
 が、小娘は胃薬一つ買っただけであっさり店を出たので、あたしも慌てて跡を追った。まさか、この後、まっすぐ家に帰るわけじゃないでしょうね? せめて、自販機の下に手をつっこんで、小銭をかき集めるくらいのことはしてからにしてちょうだいよ! よしよし・・・また家とは反対のほうに歩き始めた。胸やけと戦いながら、あんたの帰りと胃薬を待ってる大叔母さんを置いて、どこに行くのかしらね、赤ずきんちゃん?
 と、小娘は急に細い横道を曲がり、路地の行き止まりでウンコ座りしているジャンキー二人組に近づいて行った。やった! 奴らからドラッグでも買うつもりね?! これは絶対、見逃せないわ! あたしは慌ててデジカメの電源を入れ直したが、
「ハーイ、ピーターにスティーブ! 久しぶりね。元気にしてた?」
 かつてのクラスメートかなんかを偶然、見かけただけらしかった・・・。なーんだ。奴らはひとしきり近況を報告しあったが、
「じゃあ、とりあえずはその歯医者で頑張れよな」
「うん。あなたたちも早くお仕事、みつかるといいわね」
「まあな。お前も大叔父さん孝行なのはいいけど、まずは自分の夢を優先しろよ?」
「レスタースクウェアで、お前のミュージカルを見れる日を楽しみにしてるからな!」
「ありがとう、二人とも!」
 聞き耳を立てる価値のある会話は何一つ、交わされなかった。ほんと、つまんない女ね! どこに行っても、じじばば思いでミュージカル一筋の夢見る孝行娘の顔しか見せないんだから。あたしは、路地から戻ってくる小娘に気づかれないように物陰に潜みながら、うんざりため息をついた。
 十一月の夜は寒いし、小娘はちっともしっぽを出さないし、ハイヒールに押しこんだ足はすっかりむくんできたし、あー、もう、こんなことなら、家に帰ってテレビを見ながら、うぶ毛のお手入れでもしてるほうがよっぽどよかったわ。でも、乗りかかった船を途中で降りるわけにはいかない。あと五十ヤード跡をつければ、あいつも本性を現すかもしれないし・・・!
 気を取り直して貧弱な後ろ姿を追っていくと、小娘は駅前のショッピングモールの中に入って行った。今度こそ、万引きやポン引きの一つはしてくれないと、許さないわよっ。
「こんばんは。ガーナーですけど、お預けしていた時計の修理が完了したって、連絡をいただいたんですが」
「あら、サンディーじゃない! 元気そうね。大叔父さんの時計を取りに来たの? あなたはいつも偉いわね。はい、これが時計。あ、それから、あなたの大叔母さんにお借りしてた編み物の本も預けていいかしら?」
「もちろん」
 またおつかい?! 何なのよ、あんた。十九にもなって、アフターファイブにそれしかすることないの? あきれちゃうわね。女なら、他にもっとすることがあるでしょうが。うぶ毛を剃ったり、腋毛を剃ったり、すね毛を剃ったり、胸毛を剃ったり、乳毛を剃ったり・・・って、乙女の夜はいつだって大忙しじゃないのさ! なのに、この貧弱馬鹿女ときたら・・・
「あの、この辺にトイレってありますか?」
 今度はおしっこ?! そんなの、クリニックを出る前に、済ませときなさいよ!
「ええ、そこのつきあたりを右に曲ったところにあるわよ」
「ありがとうございます」
 と、小娘はそろそろ店じまいの時計屋を出て、トイレに向かって歩き始めた。ちくしょうっ、もう、こうなったら、どこまでもついていくわよ! 何か一枚くらい、今日の記念に撮影して帰らなければ。
 あたしは、女子トイレの入り口の前で立ち止まると、改めてカメラを手に取りなおした。あいつが用を足した後、手も洗わずに出ていくところを、毎秒三十枚のコマ送りで連写してやろうじゃないの! 予備のペーパーをしこたまカバンに詰めこむところでもいいわ。カモン、小娘! なんだって受けて立つわよ。念写だってお任せあれ! あたしはおでこにカメラを当ててポーズを決めると、あいつがトイレの個室に入った頃合いを見計らって扉に手をかけた。
「ちょっと、あんた、女子トイレなんかに入って、何をするつもりだね?」
 が、ふいに誰かに肩をつかまれて振り返ると、ショッピングモールの警備員が警棒片手に立っていた。ヒールを履いてるあたしと同じくらいの背の大男で、べとべとした黄色い髪の下には、フケだらけの頭皮が透けて見えていた。
「女の子が女子トイレに入って何をするか聞くなんて、ずいぶん失礼ね!」
 あたしはおっさんの手を振り払って、扉に再び手をかけたが、
「あんた、その手に持ってるものはなんだね? さては盗撮でもする気か?!」
 おっさんにデジカメを持った方の手首をつかまれた。
「失礼ね! あたしは正々堂々と物陰から、あの女の劇的瞬間をスクープ・・・」
「やっぱり隠し撮りする気だな、この女装の変態男め。そのカメラを寄こせ!」
 おっさんはあたしの手首をひねりあげようとしたが、こっちだって負けちゃいない。
「離しなさいよ、あたしは変態男なんかじゃないわ!」
「離すもんか、警察を呼ぶ前に、俺がお前を叩きのめしてやる、この変態!」
「変態はあんたよ! キャー、誰か助けてー、いやらしい中年男が美人を襲ってるー!」
「黙れ、変態! おーい、誰か、警察に電話してくれー! 女装した変態が女子トイレに侵入しようとしたんだー!」
 おっさんとあたしはふんづもつれつ取っ組みあって、叫び声をあげあったが、そのとき、
「ちょちょちょちょ、ちょっと、その人、女装した変態なんかじゃありません! れっきとした女性です。女性が女子トイレに入ろうとするのは当たり前じゃないですか。だから、今すぐ、その人を離してあげてください!」
 聞き慣れた声がして、あたしの腕に食いこむおっさんの指の力がわずかに緩んだ。
「お嬢さん、こいつのどこがれっきとした女性なんだ? どう見ても、女装の変態男だろ。誰か、早く警察に電話してくれ!」
 おっさんはまた指に力をこめると、いつの間にか集まっていたヤジ馬どもに向かって呼びかけたが、
「この人は女性です! だって、この人、私の友達だもの、そんなことくらい、よく知ってるわ。警察なんか必要ありません」
 小娘が薄べったい胸を精いっぱい張って、あたしの前に立ちはだかった。
「本当に、君はこの変態の友達なのか・・・?」
 サンディーが険しい表情で頷くと、おっさんはしぶしぶとあたしをつかんでいた手を離した。
「さ、早く行きましょ、ザビエラさん! 不愉快だわ、こんなところ!」
 ちょ、ちょっと、あたしは変態でもなけりゃ、あんたの友達でもないわよ・・・そう言い返してやりたかったのだが、あたしは釣り針みたいに細くてちっこい小娘の手にひかれて、ショッピングモールを後にした。


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