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七.夢の舞台
「本当に、本当に不愉快だわ! あなたにあんな失礼なことを言う人が、この街にいるなんて!・・・でも、あたしこそ、いいかげん、こんな不愉快な話はもうやめなくっちゃね。いやなことは忘れて、何か楽しい話でもしましょうよ。私、あなたと一度、ゆっくりおしゃべりがしたいなってずっと思ってたの。だって、あなたはいつもおしゃれで素敵だから。ねえ、もしよかったら、今から、うちに来ない? 狭い家だけど、大叔母が何か料理を作って待ってくれてるから、夕飯くらいはご馳走できるわ。もちろん、ただの家庭料理だけど、大叔母は名コックなの。それに、あなたを連れて帰ったら、大叔母も大叔父も喜ぶわ。二人とも話好きだから、二時間はあなたを質問攻めにして離さないでしょうけど、我慢してね。でも、その後は私の屋根裏部屋でお茶を飲みましょうよ。あ、屋根裏部屋に住んでるって言っても、大叔父さんたちがいじわるだから、そんな部屋しかくれなかったわけじゃないのよ。あたしが屋根裏を自分の部屋にしたいって頼みこんだからなの。だって、家の中で一番高くて、空に近い場所なんだもの! 二階建てバスに乗ったら、二階の最前列に座りたいって思うでしょ? それと同じよ。ここに来る前は、両親と小さなアパートに住んでたから、屋根裏部屋の窓から星を見上げて眠りたいって憧れてたのよね。残念ながら、うちの屋根裏の窓の視界は隣の家の屋根でふさがれてるけど、でも、とっても居心地がいいのよ。だから、食事の後は、あたしたちだけで屋根裏でおしゃべりしましょうよ、女の子同士二人だけでね・・・あ、ごめんなさい、ザビエラさん。あたし、一人でしゃべり過ぎてるわね。気をつけてるんだけど、興奮すると、ついやっちゃうのよ。だって、あんなところでばったりあなたに会えて、とても嬉しいんですもの。ザビエラさんは、あそこで何かお買いものでもしてたの?」
「そ、それは・・・」
 ショッピングモールを出た後、憤慨しきった小娘が怒りにまかせて闇雲に歩きまわったもんだから、あたしたちは街のはずれの人気のない公園のベンチに腰をかけていた。
「とくに用がなくても、ウィンドーショッピングをしたくなる日もあるわよね?」
「え、ええ、まあ・・・」
 サンディーは、エドワード坊ちゃま並に脳天気で、人を疑うことを知らない笑みを、あたしに向けた。前歯はまだがたがただけど、その笑顔は何だかまぶしくて、あたしは目をそらしてうつむいた。
「あの・・・、一つだけお願いがあるの」
 へ? 思わず顔をあげると、今度は小娘があたしから目をそらすように、もじもじとうつむいた。
「大叔父さんと大叔母さんの前では、今度のオーディションのことは黙っててくれる? 二人には内緒なの・・・」
「あんた、女優になりたいってこと、大叔父さんたちには内緒にしてるの?」
 まー、年寄りにそんなこと言っても、心配して反対されるだけだから、隠しときたいのはよく分かるけど・・・でもサンディーは静かに首を振った。
「それは知ってるわ。二人とも応援してくれてる。でも、今までに何度も何度も失敗してきたから、今度もまた失敗したら、がっかりさせちゃうでしょ・・・それに、今度のオーディションで終わりにしようと思ってるなんて言ったら、二人とも自分たちのために、あたしが夢に見切りをつけることにしたんだって勘違いするかもしれないし・・・」
「ずいぶん、弱気じゃないのさ?! まだ落ちるって決まったわけでもないのに」
 前歯をめちゃくちゃに抜いても削ってもかまわないから、万全の態勢で最後のオーディションに臨みたいって意気込んでたくせにさ!
「そうよね・・・歯のことを指摘されてから、じつはちょっと自信喪失気味で・・・人前で歌うのが何となく怖くなってたんだけど、今から、こんな弱気じゃダメよね。頑張らないと!」
 サンディーはきまり悪そうに肩をすくめて笑って見せたが、力ない目の光から察するに、弱気の虫がすっかり吹き飛んだわけではないようだった。さっきモールで、小さな体を目いっぱい伸ばして、あたしの前に立ちはだかった素敵なカウ・ガールはどこに行ったのよ? が、
「ねえ、あんた、なんでミュージカル女優になりたいって思ったの?」
 あたしが質問の矛先を変えると、奴はとたんに目を輝かせて語り出した。
「文化祭で、ミュージカルの主役に抜擢されたことがきっかけよ! 子供のころから歌や踊りが大好きだったけど、人前に立つのは苦手だったから、舞台に立つなんて夢のまた夢だと思ってた。でも、十七のとき、学生生活の思い出に、何か一つ、ずっとやりたかったことを思い切ってやってみようと思ったの。それで、文化祭のミュージカルのオーディションに参加してみたら、見事、主役に抜擢されたってわけ。それがきっかけで、絶対女優になるって決めたの!」
「ふーん。ミュージカルって、どんなの?」
 あんたが主役をやるんだから、どうせサウンド・オブ・ミュージックみたいな、お子様向けの健康的な演目でしょ。が。
「ガンジー」
 え・・・? ずいぶん、渋い劇をやる学校ね。しかも、あんた、主役って言ったわよね? ってことは、ガンジーの役よね? それ、本当に抜擢されたの? なんかの罰ゲームじゃなくて?
 が、奴はあたしの驚きをよそに、自分勝手に話し続けた。
「初めて立った舞台は素晴らしかった・・・スポットライトを浴びて、みんながあたしの歌に耳を傾けてくれた・・・本当に素晴らしかった。私が私じゃなくなったみたいで・・・」
 って、私は私じゃなくて、ガンジーになってたんでしょ・・・? それって、そんなに素晴らしいことなの・・・?
「ちびでやせっぽちの私じゃなくて、私がもっと大きな私に溶けいったような瞬間・・・うまく言えないんだけど、あの感覚をもう一度、味わいたいの。そして、みんなにあたしの歌を聞いてほしい。私の踊りを見てほしい。スターになりたい・・・」
 奴は外灯のあかりに目をキラキラ輝かせながら、どことも知れぬ闇に向かってほほ笑みかけた。まるで、スポットライトの輝きの中から、暗闇に沈む観客席に向かってほほ笑みかけるように。
「恥ずかしいわね・・・私みたいな子が、スターになりたいなんて、そんな大それたことを口にしたりして・・・」
 奴はふと我に帰ると、鼻の下をこすって照れ笑いを浮かべた。いつのまにかすっかり冷えこんでいたようで、奴の口から洩れる息が白く濁っていた。あたしは黙ってうつむいたけど、その白い蒸気の中に、懐かしい幻を見たような気がした。男だった頃の・・・いえ、ボーイッシュだった頃のあたしの姿を。あの頃、あたしも、この小娘のように、うっとりと夢見ていたっけ。女になりたい・・・いえ、もっと素敵な女性になりたいって。こんな風に目を輝かせ、明日をも知れぬ果てしない闇に向かってほほ笑みかけていたっけ。ただ、夢と希望だけを胸にして・・・
「寒くなってきたわね。帰りましょ」
 小娘がしゅんしゅん鼻をすすりはじめたのに気づいて、あたしは立ちあがった。女優に風邪をひかせたら大変だ。
「そうね、早くうちに行って、大叔母さんのキッチンであったまりましょ!」
 え? 小娘はあたしが奴の家に行くと決めつけて、腕をからめてきた。・・・でも、今から話好きの年寄りに会いに行くなんて、なんだかめんどくさそうね。あたしが携帯を開いて時間を確認すると、
「遅くなったら、泊まってけばいいわ。寝ないで、ガールズトークしましょうよ?」
 小娘は自分勝手に人の携帯の蓋をパチンと閉じて、にやりと笑った。まったく、いけずうずうしいったら! あたしは断る口実を探そうとしたけど、人気のない公園を見回すとため息をついた。やっぱり奴の家に行くしかないか・・・こんな寂しい夜道で、乙女が単独行動するわけにいかないもんね。今夜だけは、か弱い者同士、寄り添いあって、奴の家に向かうとするか。でも、助け合うのは今夜だけよ? 明日になったら、また敵同士。あんたなんかに先生と看板娘の座は絶対、渡さないからね! 


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