inserted by FC2 system
第2章 出会い
 マイクの家は、この間、肉団子を投げつけた高級住宅街の一画にあった。その中でもかなり外れのほうに建っていたが、吸血鬼の家だという先入観念のせいか、不思議な存在感を放っているように見えた。離れた所から見ても、暗闇の中で、そこだけぽっかり浮かび上がっているような気がした。
 が、気のせいではなかった。実際に近づいて見ると、奴の家はドア枠から郵便受け、花壇の縁に至るまで、夜光塗料が塗られていた。やはり夜光塗料で青白く光っているチャイムを押すと、すぐにドアが開いた。
「ハイ! あなたがトビー? よろしくね」
 ドアを開けてくれたのは、マイクのママに違いなかったが、とても若々しかった。
「来てくれて、とてもうれしいわ。さ、中に入って。飲み物は何がいい? コーヒー? コーラ? オレンジジュース? 牛乳?」
 自分がどこで頷いたのか、俺にはよく分からなかったが、マイクのママには分かったようだった。
「じゃ、私は牛乳を持っていくから、あなたは先にマイクと会ってくれる? マイクは地下室にいるわ。そこの階段を下りれば、ドアは一つしかないから」
 牛乳なんか飲みたくなかったが、ママはさっさと台所に消えたので、俺はしかたなく階段を降りた。
 マイクってどんな奴なんだろう? 俺は、病的に青白い顔をしたゴシック系ロック歌手みたいな奴を想像していたが、その予想通り、ドアの向こうからダークなヘビメタが漏れ聞こえてきた。一応、ノックしてみたけど、返事はなかったから、黙ってドアを開けた。
「うわあああああああああああああ!!!」
 部屋の中から流れてきた大音量のへビメタに負けないくらい大きな悲鳴を上げると、俺はドアの所で腰を抜かして、へたりこんだ。だって、ドアを開けたとたん、逆さづりにされた血まみれの幼児の死体が、目に飛びこんできたのだ!
「マイク! また、いたずらをしたの?!」
 と、マイクのママが俺の脇をすり抜けるようにして、部屋に入ってきた。
「鉄棒から降りなさい!」
ママがステレオの電源を切りながら叫ぶと、天井からぶら下がっていた死体が、ひらりと一回転して、体操選手のようにまっすぐ床に着地した。幼児の顔は血まみれだったが、死んではいないようだった。よく見ると、天井から5cmほど下の所に鉄棒のようなものが、一本、渡されていた。幼児は、そこに足の甲をひっかけて、蝙蝠のようにぶら下がっていたらしい。
「ごめんなさいね、トビー。マイクは歓迎の印に、あなたをちょっとびっくりさせたかっただけなのよ。これは血じゃなくて、ただのトマトジュースだから」
 ママは、幼児の顔についた赤い液体を指ですくうと舐めてみせた。死体だと思ったものは生きていて、血だと思ったものはトマトジュースだった。そして、三歳児だと思ったものが、俺と同い年のはずのマイクだった。

「悪かったよ、君をそんなに驚かせて」
 二人きりになると、奴はそう言った。あんなことをして、今さら、よく言うよ。最初から、俺を驚かせようとしてやったくせにさ!
「俺を試したんだろ? 俺が臆病者かどうか試して、お前の友達にふさわしいかテストしたんだろ? 何様のつもりだよ」
 俺は、三歳児にしか見えないマイクをにらみつけた。奴のママによると、奴は十一年前、三歳のときに野生の吸血鬼に噛まれて以来、成長が止まってしまったのだそうだ。奴は、大きな青い目を見開いて、無邪気に俺をみつめていた。トマトジュースはすでにきれいに拭き取ってあったので、まるでお人形だった。美人のママ似の青い目と、短い金色の巻き毛に覆われた頭、プックリ膨らんだほっぺた。女の子が見たら、キャーと叫んで、抱きしめたくなるようなガキだった。でも、無邪気に見開かれた目は、底なし沼のように不気味な光を湛えていた。…ビビっていたから、そう見えただけかもしれないが。
 俺は実際、かなりビビっていた。愛らしい三歳児の顔と、甲高い声をしていながら、大人のように落ち着いた口を利く奴が怖かった。でも、俺もまっすぐあいつをにらみ返した。引き下がるわけにはいかなかった。俺はすっかり腹を立てていた。情けない悲鳴をあげて腰を抜かした自分に腹が立ったのはもちろんだが、それよりも何よりも、クソったれのテストって奴には、心底、うんざりしていたのだ。テストがいやで学校に行くのをやめたのに、不良仲間に入れてもらうのにもテストが必要だった。俺は、あのクソ入団テストに、もう三度は落ちていた。そもそも奴らには、俺を仲間に入れてやる気なんてないのかもしれない。でも、俺が奴らの命令に従って、犬のように駆けずり回るのを見るのが面白いから、俺に何度もテストを受けさせて、その度に落として楽しんでいるんだろう。
 何にしても、俺はテストと名のつくものには、いいかげん、うんざりしていた。学校でもテスト、路地裏でもテスト、その上、この、吸血鬼の館でもテスト。そして、俺はそのテストにどれ一つとして、合格していなかった。
 もう我慢ならなかった。俺は、何かの勝負のように、あいつとにらみ合っていた。あいつの目は、底なし沼のように深くて静かだったけれども。
 やがて、あいつはゆっくり口を開いた。そのとき気がついたのだが、奴はさっきから一度も瞬きをしていなかった。
「テストってどういうこと? 僕は、友達をテストなんかしないよ。僕には一人も友達なんかいないけれど、友達って言うのは、そういうものではないと思ってた。でも、外では、そういうものなの?」
 奴は天井を指差した。
「外では、そうなのかい?」
 奴はもう一度、繰り返した。瞬きもせず、俺をじっとみつめて。
「いや、違うよ…」
 なんで、そう答えたのか自分でも分からなかった。外では…この家の外では、俺はいつだって、誰かに試され、拒絶され続けてきたのに。でも、そういうのはもう、うんざりだった。こいつの言う通り、友達ってのはそんなものじゃないと、俺もそう思いたかった。
 奴はゆっくり頷いて、そして微笑んだ。
「よかった…。僕が思ってた通りで。友達って言うのは、けしてお互いを試し合ったりしないものだと、僕は想像していたから」
 奴につられて笑いそうになるのをこらえて、俺はうなり返した。
「じゃあ、なんで、さっきはあんな真似をして、俺をビビらせたんだよ? 俺がどれだけ臆病者か、試したかったんだろ?」
 そして、その結果を大いに楽しんだに違いない。俺はまた、奴をにらみつけた。
「まさか。君があれを、そんな風に受け取るとは思ってもみなかったよ」
「じゃあ、どう受け取ればよかったんだよ?!」
 俺がすごんでも、奴はひるむことなく答えた。
「僕はただ、君と本当の友達になりたかったんだ。だから君に、僕の一番ひどい姿を、一番最初に見てほしかった。後でがっかりされないようにね。僕は社会化された吸血鬼だけれど、いくら社会化されているとはいえ、本質的におぞましい生物なんだよ。初対面のときに、そのことをちゃんと知っておいてもらえれば、僕らはお互いに安心してつきあえると思うんだ」
 奴はとうとうとまくしたてたが、俺が奴の話についていけずにいるのを見てとると、ふと立ちあがった。
「僕はか弱い三歳児のようにしか見えないだろうけど、実際はすごい筋力を持っているんだよ。ほら…」 
 と、奴は膝を軽く曲げて弾みをつけると、ひょいと飛び上がって、例の鉄棒につかまった。それから素早く足の甲を鉄棒にひっかけて、さっきのように逆さ吊りになった。
「普通の三歳児には、こんなことはできないだろう? でも、僕らは何時間でもこうしていられるんだ。頭を下にしてる方が気持ちいいんだよ」
 奴はさっきと同じように、ひらりと宙で一回転してから着地した。
「…空も飛べるのか?」
 蝙蝠みたいに。が、奴は首を振った。
「それはできない。でも、ホラー映画みたいに、人間の首筋にがぶりと噛みついて、血を吸うのは本当だよ。ほら」
 奴は、トレーナーの襟をぐいと引っ張って、左の首筋にはっきり残っている、二つの赤いあざを見せてくれた。
「三歳のとき、やられたんだ。僕は、こんな風に誰かに噛みついたことはないけどね。週に二回、病院で輸血を受けられるから。でも、政府の吸血鬼研究機関で健康診断を受けたとき、特別に記録映画を見せてもらったことがある。人間の血を吸った直後の野生の吸血鬼の映像を見せてもらったんだ。さっき、トマトジュースを顔になすりつけていたときの僕のように、血まみれだったよ。どうして、血しぶきを飛ばさずに吸うことができないのかは分からない。だって、実際に試してみるわけにはいかないからね。でも、僕だって、やろうと思えば、やれるんだよ」
 と、奴は、にっと歯をむいて笑ってみせた。次の瞬間、奴の目がギラリと光って、犬歯が二本、倍の長さまで伸びた。俺が床の上で後ずさると、奴は素早く口を閉じた。
「これで分かっただろう? 僕は、君達の目から見たら、本質的に醜悪な生き物なんだよ。そのことを、君に最初に分かっておいてほしいんだ。後で、僕にがっかりしないように。僕の言ってる意味、分かってくれたかな?」
 分かったとは思うが、頷くところまではいかなかった。俺は、それ以上後ずさらないよう自分を抑えながら、黙って唾を飲み込んだ。
「でも、君は、逃げ出さなかったね。僕がとりうる一番、ひどい姿を見ても。去年まで住んでた町でも、やっぱり親切な牧師さんが近所の子を紹介してくれたけど、その子は一目散に逃げ出して、二度と僕の家には来てくれなかったよ」
 そりゃあそうだろう。俺だって、腰が抜けなければ、そうしてたに違いない。
「でも、君はちゃんと話を聞いてくれる」
 それは腰が抜けたから。それに、ここから逃げ出したら、少年院に送られるから。
 でも、奴は嬉しそうに続けた。
「もしよかったら、君も、一番ひどい君を、僕に見せてくれないかな? 最初にお互いのいやなところを見せあえば、きっと僕らはすごく仲良くなれると思うんだ」
 何ておかしなことを言う奴なんだろう? 俺は吸血鬼じゃないんだから、これ以上、おぞましい姿に変身することなどできやしない。やっぱり、こいつはちょっと変だ。吸血鬼だからというだけじゃなくて。この地下室にこもってばかりいるから、少し頭がおかしくなっちゃったんだろう。でも…
 でも、これから手に入るかもしれない友情への期待にキラキラと輝いている奴の目を見ていると、俺は知らず知らずに答えていた。
「見えねえのかよ! ここにいるよ!」
 そして俺は、拳で自分の胸をドンと叩いた。
「お前の目の前に、立っているじゃねえか? 俺みたいな人間のクズは、ただ生きてるだけで十分、おぞましいんだよ。家じゃ、生まれてこなきゃよかったんだって、いつも親父に言われてるし、学校でも路地裏でも、誰からも相手にされていない。俺はただ生きて、こうしてるだけで、最低最悪の醜悪な存在なんだよ! 見えるだろ?」
 なんで、こんなことを言ってしまったんだろう。俺は、自分の胸から飛び出てきた言葉の激しさに自分で驚いていたが、奴はちっともびっくりしていないようだった。底なし沼のように得体のしれないものを湛えた眼を見開いて、一心に俺をみつめていた。まるで、その中に、俺を引きずりこんでしまおうとでも言うように。
「ありがとう。大事な秘密を教えてくれて。君の一番いやなところを、僕はとても好きになれそうだよ」
 底なし沼の色を帯びた瞳は、突然、よく晴れた日の空の色に染め変えられた。奴の部屋には窓なんか一つもないのに、まるで、どこからか日光が射しこんできたかのように、奴はキラキラと笑った。

第3章へ
home
inserted by FC2 system