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第3章 マイクとの毎日
 それから俺は、マイクが病院に行く日を除いて毎晩、奴の家に通った。奴の部屋には、窓以外のものは、なんでもあった。テレビ、ビデオデッキ、豪華なステレオセット、ギター、机、椅子、寝心地のいいベッド、それにおびただしい数の本。
 牧師が言った通り、マイクは確かに頭が良かった。自分で勝手に勉強して、高卒程度の教養はすでに身につけていた。
「他にすることが、あまりなかったからね」
 本棚に並んだ小難しそうな本の題名を俺が読みあげると、奴は真顔で言った。
 でも、俺達は今、やることが沢山あった。
 初めにしたのは、夜中にマイクの家の庭で遊ぶことだった。俺達は、お互いの顔に夜光塗料を塗り、離れたところに立つと、お互いの顔を見て笑った。それから、夜光塗料を塗ったフリスビーをして遊んだ。俺がどんな変なところにフリスビーを飛ばしても、奴は持ち前のジャンプ力で、それを確実にキャッチすることができた。宙に高く舞うフリスビーは青白い月のようだった。それを追うマイクの顔も、もちろん光っていた。口の周りに塗った塗料が、四つ切りのスイカの形にぱっくり光っていたのを、今でもはっきり覚えている。俺の口も、多分そんな風に光っていただろう。俺達は、いつも笑っていたから。
 フリスビーに飽きると、三軒隣のエイアーズさんちの庭に忍びこんでバスケをした。マイクは軽々とダンクを決めることができた。
「僕にこんなことができるって、知らなかったよ!」
 マイクは、リングにつかまってぶら下がりながら笑った。マイクの隠れた才能は、他にもまだまだ沢山ありそうだった。だから、俺達はそれを探しに、もうちょっと遠くに足を延ばすことにした。
「明るくなる前に、必ず戻ってくるのよ」
 俺達を家から送りだすとき、マイクのママは必ずこう言った。心配そうに門のところに立っているママの姿が見えなくなると、俺達はすぐに走り出した。そして、すぐにマイクのもう一つの才能を見つけ出した。
 マイクにはナンパの才能があった。と言うか、ナンパされる才能があった。マイクを連れて歩いていると、しばしば女の子達が立ち止って声をかけてきた。俺一人だったら、ありえないことだ。
「ねえ、この子に触ってもいい?」
 女の子達は、なぜかマイクではなく俺に聞いた。マイクも触られたがっていることは分かっていたので、俺は必ず、いいよと答えた。
 たいていの女の子は触るだけではなく、マイクを抱っこして、ぎゅっと胸に抱いた。
「どっちのお姉さんが好き?」
 そして、二人組の女の子はたいてい、こう訊いた。
「わかんない」 
 マイクがはにかんでみせると、女の子達はキャーッと歓声をあげて、マイクをまた胸に抱きしめた。彼女達がなぜそんなに嬉しがるのか、俺にはよく分からなかったが、マイクは三歳児のふりをするのがとてもうまかった。これも、奴の隠れた才能の一つだった。女の子の前で三歳児のふりをするときだけ、奴は瞬きをした。
女の子達と別れるとすぐに、マイクは彼女達の胸がどんなだったか報告してくれた。
「黄色いTシャツを着てたほうの子の胸は、すごい柔らかくてふかふかしていたよ。でも、彼女の胸の中もふかふかしているとは思えないな。彼女には深い悩みがあるよ。抱きしめられると分かるんだ。胸の中のものも伝わってくる。彼女は悩みがあるけど、それを友達からも、自分からも隠そうとしている。だから彼女は、とても辛いんだよ」
 奴は心理学者のようにまくし立てた。
「お前さ…普通に感触を楽しむことはできないわけ?」
 できることなら、奴と立場を変わりたいと思いながら、俺は訊ねた。
「そりゃあ、気持ちいいとは思うよ。でもさ、君は大事なことを忘れてるよ、トビー。僕は三歳で成長が止まってしまったんだ。女の子への憧れや興味は感じるけど、僕は永久に、性ホルモンの恩恵を被ることはできないんだ。君と違って。女の子と遊ぶためなら、テレビアニメの始まる時間までに家に帰らなくてもいいや、と思えるようにはならないんだよ。永遠に。性ホルモンとは偉大なものだね。君は、その力を有効に活用するべきだ。ねえ…発情するってどんな気分?」
 俺が何とも答えられずにいると、マイクは先を続けた。
「僕が女の子達をひきつけている間に、君は彼女達をよく観察するといいよ。将来、伴侶を選ぶとき、きっと役に立つ。僕にとっても、もちろん役に立つ。人間性の研究と言うものは、性ホルモンの分泌のあるなしに関わらず、興味をそそるものだからね。さあ、また一組、女の子達が向こうからやってくる。彼女達の気をひいてみようじゃないか?」
 と、奴は腕まくりをして前を向いた。が、
「うわっ」 
 と悲鳴をあげると、顔をそむけてしゃがみこんだ。
「またチェックか?」
俺が尋ねると、マイクは黙って頷いた。奴は、正確に90度に交差した2インチ以上の格子模様を直視することができなかった。めまいを起こしてしまうのだ。この習性により、吸血鬼は十字架やキリスト教を恐れるという迷信が生まれたのだそうだ。
 チェックのミニスカートを履いた女の子が目の前を通り過ぎていった。
「…もう行ったぜ」
 奴は立ち上がると、気を取り直して言った。
「よし。…じゃあ、出発と行こうか!」
 俺は、最強で最小のナンパ師の後について、歩き出した。


マイクのママは、ママとしても、女性としても最高だった。ときどき、俺達と一緒に、夜光塗料を塗った羽でバトミントンをした。そんなとき、マイクのママの顔は、夜光塗料を塗っていないのに光っているように見えた。暗闇の中でもひときわ目立っていたのは、カナリアみたいな黄色のカーディガンをよく着ていたからかもしれないけれど。マイクのママは、その色がとても好きで、よく似合っていた。三十歳は絶対に過ぎていたはずだけど、カナリア色のカーディガンを着ているときは特に、女学生みたいに見えた。
「僕のせいだよ、それは」
 あるとき、お前のママは若くて美人だと言ったら、奴はこう答えた。
「僕がいつまでも三歳児みたいだから、彼女も三歳児の母親みたいな気分がいつまでも抜けないのさ。この家の中で、成長できないのは、僕一人だけで沢山だと思うんだけどね」
 奴は瞬きもせず、真顔で肩をすくめてみせた。
「それにパパのせいかも」奴はつけ足した。「パパが出稼ぎに行って、全然、家に帰ってこないから」
 奴のパパは映画のプロデューサーで、ハリウッドに出稼ぎに行っていた。毎月、沢山のお金を送ってくれるけど、もう一年以上、家に帰っていなかった。
「パパがいないと、どうしてお前のママはいつまでも若くいられるんだよ?」
「独身みたいな気持でいられるからだよ」
「ふうん」
 俺はよく分かっていないくせに頷いたが、その後まもなく、マイクのママは本当に独身になった。ある日、パパから一通の手紙が届いて、その中に、他に好きな女ができたから離婚してくれと書いてあったのだ。
 その日、俺がマイクの家に行くと、ママではなくてマイクがドアを開けてくれた。俺が驚いた顔をすると、奴は事情を話してくれた。
「寝室で泣いてるんだ。そっとしといてあげようよ」
 その晩は、俺達は外出を控えて、家の中にいた。マイクのパパは、金銭的援助は、これからも続けると言っているそうだ。それに、マイクは好きなときに好きなだけ、カリフォルニアのパパの家に滞在してもいいと。
「そんな場所に僕が行けると思う? あんな日当たりのよさそうな場所にさ」
 奴は皮肉を込めるでもなく、さらりと言った。
「僕が吸血鬼にならなければ、三人でカリフォルニアに住んでいただろうから、離婚なんてしなかったかもしれない。僕が野生の吸血鬼に噛まれたとき、ママは自分の不注意をすごく責めたらしいけど、そんなの誰のせいでもないよね。その吸血鬼すら悪くない。だって、生き伸びようとしただけなんだから。それと同じで、パパが他の女の人を好きになったのも、誰が悪いわけではない。パパも生き伸びたかったんだと思う。そばにいてくれる女の人を愛すことで」
 奴はまるで他人事のように言った。
「ママが心配だけど…でも、彼女は、きっと立ち直れると僕は信じてる。人間という生き物は、底知れぬ回復力を持っているからね」
「吸血鬼のほうがすごいだろ?」 
 だって、マイクによると、吸血鬼は太陽を避け、輸血さえ受けていれば、よほどの目に遭わない限り、永遠に生きられるんだそうだから。骨折しても、三日で戻るのだそうだ。人間に、こんな回復力はない。
 俺がそう言うと、奴は神妙に頷いた。
「その通りだね。君達より、僕らのほうが回復能力は高いね。さっきの言葉は訂正するよ。人間は、底知れぬ成長力を持った生き物だよね。僕はそのことにいつも感心している」
「成長力?」
 俺が繰り返すと、奴は頷いた。
「人間は、吸血鬼ほどの回復能力は持っていないけれど、成長する力には目覚ましいものがあるよね。僕らは、ある種の危険を避けてさえいれば永遠に死なない。ちょっと怪我をしても、すぐに元に戻る。でも、僕らはけして成長できない。人間の中には、僕らの不死性をうらやむ人達がいるけれど、彼らは自分達の成長力のすごさを分かってないんだ。僕は人間という生き物に、大いなる期待を抱いているんだ」
 ずいぶん楽観的だなと思ったが、それは言わずに置いた。
「もちろん、ママにも期待している。彼女が必ずこの痛手から回復すると、僕は信じてるんだ」
 マイクは、きっぱりと言い切った。
「…でもさ、信じるだけじゃなくて、何かしてあげられることがあったら、もっといいんじゃないかと思うね」
 俺は床に寝そべってコーラの缶をすすった。
「たとえば?」
 分かるもんか。俺は黙って肩をすくめた。
「人間の言葉を借りて言えば、ママは今、人生の暗闇のまっただ中にいると思うんだよね。でもさ、僕にすれば、暗闇って言うのは、一番、心が安らぐ場所なんだよ。僕はママを愛してる。でも、僕の感覚は、人間のそれとはちょっとずれているから、こういうときに彼女に何をしてあげたらいいのか、よく分からないんだ。暗闇の中にいて苦しんでいるとき、人間は何を欲しがるものなの?」
 光。俺は即座にそう思った。多分、カリフォルニアのビーチに降りそそぐ太陽のような光。でも、マイクのママは今、そんなものを見たくないだろう。それに、光と言って、俺の頭に真っ先に浮かんだのは、夜光塗料の頼りなげな青白い光だった。
「…家の中に、夜光塗料で落書きしようよ」
 俺の言葉に、マイクはきょとんと首をかしげた。
「お前のママが寝室にこもってる間に、俺とお前で、ママが喜びそうな絵を家の中に書くんだ。夜光塗料でさ。ママは今、暗闇の中にいるんだろ? なら、夜光塗料の光が見えるはずだよ。夜光塗料の光は、暗闇の中じゃないと見えない。…人生も多分、同じだよ。人生の暗闇の中でしか見えないものが、きっとある。俺達の絵を見れば、お前のママも、ちょっとはいい気分になるかもしれない…」
自分のどこから、こんなばかげた考えが出てきたのかは分らなかった。人の家に落書きしようぜ、なんて。が、マイクは勢い良く頷いた。
「すごくいいアイディアだよ。ママは夜中にトイレに行くときも、廊下の電気をつけないから、きっとそのとき、僕達の絵に気づくよ。ハートとか、天使とか描いたらいいんじゃないかな? 彼女はきっと、僕達の意図にも気づいてくれると思うよ」
 俺達は、部屋を出て階段を昇りながら、くすくす笑っていた。そりゃあ、笑っちゃうよな。家の中に落書きするだけでも楽しいのに、それで他人を喜ばすこともできるかもしれないんだから。


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