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第4章 マイクのいない時間
 前にも言ったけど、俺とマイクは、毎日会っていたわけではなかった。奴は週に二回、病院に通っていた。吸血鬼に輸血してくれる病院はどこにでもあるわけではなかった。それに近所の病院に通って、いろいろ噂になっても困るので、奴とママは、ここから車で片道二時間かかる病院に通っていた。だから、病院がある日は会うことができなかった。
 俺が、その計画を実行した日も、マイクが病院に行っている夜のことだった。
 俺は一人で町に向かった。家にいたって、ろくなことはなかった。クソ親父が一日中、食卓の上のテレビと、ソファーの前のテレビを両方いっぺんに、しかも最大音量ででつけていたから、うるさくて、とても家にいられたもんじゃなかった。奴は、働きに行く必要がないのだ。覚えてないけど、俺が二歳のとき、奴はオーストラリアの戦争で足をだめにして本国に送還され、それからずっと傷病兵年金で暮らしていた。しかし、だめになったのは足だけではなかった。結婚生活もだめになったし、父親としても、人間としてもだめになってしまった。もちろん、頭と耳も。でなきゃ、フルボリュームでテレビを二台同時に見ていることなんかできない。
 食卓の上のテレビが、
「次の問題です。初代アメリカ大統領は?」
 とわめくと、ソファの前のテレビが、
「マリリン・マンソン」
 と、がなり返す。うちで交わされるまともな会話と言ったら、これくらいなものだった。
 たまに俺がテレビを消すと、奴は手当り次第、いろんなものを投げてきたが、足が悪いので追っかけてくることはなかった。そんなとき、奴はありとあらゆる罵詈雑言を吐いたが、最後のシメはいつもこれだった。
「ちくしょう、戦争が全部悪いんだ!」
 責めるものがあってよかったじゃないかと、俺は奴のために、いつもそう思った。でも、スクールカウンセラーが俺の不登校と非行の原因をも、戦争のせいにしたがるのには閉口した。何か不都合な出来事が起きるたび、それには深遠な理由があるはずだと思いたがる連中に、俺はうんざりしていた。俺がろくでなしのクズだってことに、何か理由があってたまるかよ。マイクが三歳のときに吸血鬼になってしまったのにも、何か理由があるというのか? 理由があったからって誰が納得できるって言うんだ? 太陽の光を見ることすらできないのにも、何か深遠な理由があると聞かされたからって、「はい、そうですか」って納得できるのか? 俺はできないよ。理由なんか知りなくない。それよりも、俺はマイクに太陽を見せてやりたいと思う。それが無理なら、せめてめまいを起こすことなく十字架を見せてやりたい。
 俺はそう思って、その晩、一人で町に行った。ポケットにドライバーを入れて。
 すでにシャッターの閉まった商店街の前を通り過ぎると、俺は教会に向かった。祈りたい人達のために、分厚い扉は二十四時間、開けてあったけれど、周囲に人の気配はなかった。俺は辺りを見回してから、ドライバーを取り出した。
 ここは、俺をマイクに紹介しくれた牧師の教会だったが、正面扉に大きな木の十字架が貼り付けてあった。これがあるばっかりに、マイクは、この通りを歩くことを怖がった。だから、俺がこの十字架を何とかしてやることに決めたのだ。
 俺はドアに顔を近づけて、十字架をよく観察した。それはドアとは違う材質の木でできていた。釘は見当らないので、ボンドでドアにくっつけてあるだけだろう。十字架の縁をドライバーでつつけば、パッカリはがれるはずだ。
 が、十字架は相当、強力なボンドでくっつけてあるらしかった。いくらドライバーを打ちつけても、びくともしなかった。いろんな角度から打ちまくったので、ドアも十字架も傷だらけになった。
「ちぇ」 
 こめかみの汗を拭いながら舌打ちすると、うなじに誰かの息が、ふっとかかった。
「こんなところで、何してるんだよ?」
 振り返ると、俺が今まで散々テストされてきた地元のしょぼいギャング団のロニーとジェイミーがいた。奴らは俺より二つ年上で、強暴なチワワと性格の悪いロバみたいな顔をしていたが、いつもいい身なりをしていた。本物のヤクを売買できるルートを持っているからだと自慢していたが、それは怪しいものだった。奴らは、ママの抗鬱剤を盗んで同級生にむりやり売りつけていることで有名だった。
「久しぶりじゃねえか。お前、最近、ベビーシッターに精出してるんだってな? どこでそんなアルバイトを見つけたんだよ? 俺達にも紹介しろよ」
 奴らはにやにやと、俺の肩をついた。
「で、稼いだ金で何をしてるんだ? ドライバーを買って、教会のドアに傷をつける以外にさ。ったく、たいしたサイコ野郎だよ、お前って奴は」
「教会に火をつけたら、入団させてやってもいいぜ」
「そうだな、そりゃいいや! ただし、こないだみたいに捕まっちまったら、不合格だからな。いいか?」
 またテストか。顔に突きつけられたロニーの人さし指を払いのけてやると、奴らはとたんに気色ばんだ。
「何様のつもりだよ?! 偉そうに!」
「お前、本当は教会に火をつけるのが怖いんだろ? 罰が当たるから」
「んなもん、怖くねえよ」
「嘘つけ!」
 嘘じゃねえ。ただ、テストなんてもうまっぴらごめんなだけだ。罰なんか怖くない。その証拠に、教会の扉に火をつけてやろうとポケットに手を突っこむと、
「ライターなら、ここにあるぜ!」
 ジェイミーが放ってよこした。俺はそれを受け取ると、まずは奴らの顔に火を近づけてから、扉にかざした。これを燃やしたら、次にお前らに火をつけてやる。が、
「ドアにいきなりライターを近づけたって、ちょっと表面が焦げるだけで、火なんかつきやしねえよ。それよか、まずは、なんかもっと燃えやすいものに火をつけるんだ、馬鹿」
 と言うなり、ロニーは走り出すと、道端に落ちていた新聞紙を拾って戻ってきた。奴はそれをくしゃくしゃっと丸めてボールにすると、犬のような顔に醜くしわを寄せて笑った。
「まずはこれに火をつけてさ、燃え上がったところを、教会の中に投げ込むんだよ! さ、早くやれ」
 ロニーはいそいそとボールを差し出した。新聞紙に火をつけるというだけでこんなにわくわくできる馬鹿が、本物のヤクの売人なもんか。こんな奴らの所属しているギャング団に入りたがっていた俺はつくづく馬鹿だと自分でも思った。その上、こいつらと一緒に火遊びしようとしてたんだからな! 俺は馬鹿らしくなって、ライターを投げ捨てた。
「何やってんだよ、トビー? これは入団テストなんだぞ! 早く言う通りにしろ」
「そんなテスト、もう受けない」
「なんだと?! テストに受からなきゃ、入れてやらねえぞ!」
「そんなもの、入りたくもねえや!」
 俺がドライバーをつかんで振り上げると、奴らもさっと身構えたが、
「誰かそこにいるのかい…?」
 背後で、突然、ドアが開いた。牧師の声だということは、振り返らなくても分かった。ロニーとジェイミーは素早く建物の脇に回って逃げ去った。
「トビーじゃないか。何をしているんだい、こんなところで?」
 俺はドライバーを振り上げたまま、ゆっくり奴を振り返った。足元にはライターと新聞紙のボールが落ちていたし、ドアは傷だらけだった。
 社会奉仕活動は中止になって、今度こそ少年院に入れられるかもしれない。そしたら、マイクにも、もう会えなくなるだろうな…
 そう思ったら、逃げようという気もすっかり失せて、俺はだらりと両手を下げて立ち尽くした。




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