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第6章 旅情
 
 その晩以来、ロニーとジェイミーの姿を見かけることはなかった。その後、だいぶたってから、二人は何かすごくやばいことをして、町から逃げ出したんだという話を噂に聞いた。
 馬鹿はいなくなったし、マイクのママもとりあえず元気を取り戻したし(少なくとも、俺達が壁に描いたへたくそな天使の絵を見るたび、ニヤッと笑っている)、教会の前も目をそむけずに歩けるし、俺達は平和な毎日を過ごしていた。
が、それは束の間の休息に過ぎなかった。
「ね、いいものを見せてあげるよ、トビー」
 ある晩、雨なので家にいると、奴が言った。
「なんだよ?」
 奴はにやりと笑って、ベッドの下に手を突っこんで本のようなものを引っ張り出した。エロ本かな?と少しうきうきしたが、ただの時刻表だった。奴には性ホルモンがないことを、俺は忘れていた。
「何すんだよ、こんなもの」
 俺はパラパラとページの角を指ではじいた。
「僕、鉄道でカリフォルニアまで行ってみたいんだ。君も一緒に行かないか? 僕達、二人だけで」
 マイクは、ぐいと身を乗り出して、俺の顔を覗きこんだ。
「カリフォルニアに?! 俺にそんな金あると思うか?」
 もっと大事な問題があるが、とりあえず金がないのも事実だ。
「列車代は、僕が出すよ。大丈夫。貯金があるから。それに宿泊代はただだよ。僕のパパの家に泊まるから」
「なあ、それより…」
「太陽の問題だろ? それに、ママも説得しなけりゃならない。でも、どっちも僕が何とかするよ」
「太陽は、何とかならねえだろ?」
「なんとかする。吸血鬼用の遮光マントを作って、頭からすっぽり被ればいい」
「でも、目の所に穴をあけるわけにもいかないから、前が見えないだろ」
 マイクは日光を見ることすらできなかった。家の中にいて、窓から外の地面に日が当たっているのを見るだけでも駄目だった。なのにカリフォルニアに、しかも俺達だけで行くなんて無茶もいいとこだ。
「君が手をひいてくれればいい。じゃなきゃ、スーツケースに僕を入れて、君が運ぶってのはどうかな? 僕、息しなくても平気だから、狭いところに閉じこめられても大丈夫だよ」
「じゃあ、いっそのこと、ヒッチハイクして、カリフォルニアまでトランクに乗せてもらえばいいんじゃないか?」
「それは名案だ!」  
 俺は皮肉のつもりで言ったのに、マイクは目を輝かせた。
「おい、目を覚ませよ、マイク! 俺はよくても、ママは絶対に許さないよ。それに鉄道だと何日もかかるから、途中で輸血してもらわなきゃならないだろ?」
「病院に寄りながら行く」
「そんなの無理だよ!」
「無理じゃないよ! 前もって輸血をしてくれる病院を調べて、連絡をしておけばいい」
「でも、何かアクシデントが起きて、予定通りに病院にたどり着けなかったら?」
「アクシデントなんて、この町にいたって起きるときは起きるよ! 何で協力してくれないの…?」
 マイクは下唇を噛んで、黙りこんだ。いつも穏やかな奴が、こんな風に機嫌を損ねるのを見るのは初めてだった。
「…パパに会いたいのか?」
「うん…」
「なら、来てもらえよ。電話しろ。なんなら、俺が、お前が危篤だって電話してやるよ」
 我ながら、いいアイディアだと思ったのだが、マイクは首を振った。
「ううん…。本当は、カリフォルニアに行ってみたいだけなんだ。僕が吸血鬼にならなければ、多分、住んでいた場所を見てみたいんだ。そして、夜のビーチを散歩したり、ヤシの木の下でローラースケートをするんだ。もちろん君も一緒にね…」
 奴は夢を見ているようにうっとりと言った。カリフォルニアで夜中にそんなことをしたら、あっという間に変質者に背中をめった刺しにされるんじゃないかと俺は思った。でも、俺の脳裏にも、夜光虫の青い光に照らし出された波打ち際で遊んでいる俺達の姿が、くっきりと浮かんだ。でも…
「危険すぎるよ、マイク」
 マイクが蹴っ飛ばされた、あの晩のような思いは、もう二度としたくなかった。
「君も、ママと同じだね…」
 マイクは、うつむいたままつぶやいた。その声には、本物の失望と幻滅がこもっていた。俺がハッと顔をあげると、奴も顔をあげて慌ててつけ足した。
「分かってるよ…君やママの気持ちは。二人とも僕を愛してるから、僕が死ぬのを恐れているんだ。でも…本当にやってみたいこともやらずに、それでも生きてるなんて言えると思う?」
 奴は三歳児らしからぬ皮肉な笑みを浮かべた。俺は、その微笑みの下の、冷たい肉体を思った。死んでいるようなマイクの体を。けして、成長できないマイクの体を。だけど、生きているマイクの体を。
「…お前を運ぶ方法は、俺が決めるぞ! だって、俺が運ぶんだからな! いいか?」
 マイクの顔に、四つ割のスイカみたいな、大きな笑みが浮かんだ。

 でも、何とかならないのは太陽よりも、マイクのママだった。
俺達がカリフォルニア行きをさりげなく提案しただけで、マイクのママは猛反対した。俺達は前もって打ち合わせていた通り、ちょっと反発してみせたが、すぐに引き下がり、その後はカリフォルニアのことなんか忘れてしまったふりをした。
でも、ある日、トイレに行こうとマイクの部屋を出て階段を駆け登ると、ママに取り押さえられた。
「マイクが馬鹿なことをしないように見張るって、約束してちょうだい。お願い」
 廊下の電気はついていなかったので、ママの背後の壁に、俺達が描いた天使が青白く浮かび上がっていた。
「マイクは、まだ諦めていないんでしょ…? あの子は、そんな中途半端な子じゃないもの。でしょ?」
 いいや、あいつは半端な奴だよ、と答えるわけにもいかず、俺は斜めに頷いた。
「二人だけでカリフォルニアに行くなんて、絶対に無理よ。…あなただって、本当はマイクにそんなことさせたくないんでしょ、トビー?」
 俺がぴくりと瞼を震わすと、ママは、にっと笑った。
「あなたは優しい子だから、マイクの夢を叶えてあげたいと思ってるのよね。でも、これはあまりにも危険すぎる。でしょ?」
 これ以上ママに本心を見抜かれるのがいやで、俺は下を向いた。そんなことはもちろん分かってるよ。これは、もちろん危険な試みだ…
「でも、俺、死んでも、あいつを守ってやるからさ!」
 俺はまっすぐに顔をあげて、ママの顔をみつめた。これは勝負だった。一瞬でも気を抜いて、目をそらしたほうの負け。が、
「死んでも、ですって?!」
 ママはふいに素っ頓狂な声を上げると、白目をむくように天井を見上げた。俺が、うん、と答えると、ママはさらに声を張り上げた。
「あなたまで死ぬ気なの?! それじゃあ、私は、もしかしたら、いっぺんに二人同時に失うかもしれないってことね。そんなことになったら、私はいったい、どうしたらいいの?」
 上を向いたママの目の縁に、青白い光を湛えた涙が盛り上がった。俺はもちろん、そんな質問に何と答えたらいいのか、分からなかった。

 なので、俺は「マイクを絶対にカリフォルニアに行かせない」とママに約束してしまった。
「よくやったね」
 が、マイクは褒めてくれた。
「これで、彼女も少し油断するよ」
 どうだろうか? 俺は、ママを見るたび湧き上がってくる罪悪感をうまく隠している自信はなかった。でも、いいニュースもあった。二人でいろいろ実験してみたところ、吸血鬼というのは、意外と旅行向きな生き物だということが判明した。少なくとも輸送には向いている。
 だって、スーツケースに閉じこめられて息ができなくても大丈夫だって言うんだから。おまけにとてつもなく夜目が利くから、真っ暗やみの中でも本が読めるので退屈しないという。もちろん、そんなものをめくるスペースがあればの話だが。
 でも、鞄ごとぶん投げられても痛くもかゆくもないと言うし、食事をとる必要もないし、トイレに行く必要もないんだから、吸血鬼は夢のトラベラーだった。誰だって一回は思ったことがあるんじゃないだろうか? スーツケースに入って、ただで旅したいって。
 でも、俺達はスーツケースではなく、ゴルフバッグを使うことにしていた。そうのほうがマイクの姿勢も楽だし、列車を降りて病院までヒッチハイクするときも、簡単に車に積みこんでもらえる。唯一の問題は、いかにも貧乏くさいガキである俺がゴルフバッグなんか担いでいることの不自然さだった。でも、それも何とかなりそうだった。俺がゴミ捨て場から拾ってきたゴルフバックも、俺と同じくらい貧乏くさかったから。
 一番、面倒なのは、どこの病院で輸血をするか決めることだった。でも、マイクは政府に支給された吸血鬼手帳を持っていた。それはパスポートくらいの大きさで、いかにも馬鹿が欲しがりそうなかっこいい手帳だった。俺もちょっと欲しかった。それに吸血鬼が利用できるアメリカ中の病院のリストが載っていたので、俺達はそれを路線図と見比べながら、どこで途中下車するか決めた。不測の事態に備えて余裕を持ったスケジュールを組んだので、結構な長旅になりそうだった。
「なあ、マイク…やっぱ飛行機にしたほうがいいんじゃないか? なら、すぐ着くから輸血する必要もないしさ。お前、どうせ鞄の中にすっこもってるんだから、何に乗ってたって変わんねえだろ?」
「変わるよ」奴はむっと口を尖らせた。「景色は見れなくても、音が聞こえるし、震動も伝わってくるもん。飛行機より、鉄道のほうがずっと旅情を感じられるはずだよ」
 ゴルフバッグの中で?と思ったが、俺は、それに関しては沈黙を守った。
「でもさ…飛行機なら、鞄の中に隠れたり、遮光カーテンを頭からすっぽりかぶらなくても平気なんじゃないかと思うんだよね。手荷物のふりをしてコソコソ無賃乗車なんかしないで、堂々と切符と吸血鬼手帳を見せて乗りこめば、航空会社はきっと、俺達が乗る便の窓をきっちり閉めてくれると思うよ。そしたら、お前は家の中にいるように快適に旅行できる。スチュワーデスと話をすることもできるし、もしかしたら抱っこしてくれるかもしれないぞ?」
 が、この最後のところの提案も、マイクの気を引くことはできなかったようだ。性ホルモンが足りないからだろうか?
「でもさ! 乗客の中には本物の三歳児がいるかもしれない。いくらスチュワーデスが、本機には吸血鬼が一匹ご搭乗していらっしゃいますので、窓は絶対に開けないでくださいってアナウンスしても、奴らは絶対、面白半分に開けると思うよ! そしたら、どうするのさ?」
 と、奴は三歳児の声で、ヒステリックにわめいた。
「それにさ! 僕は特別扱いされたくないんだ。僕のために、飛行機の窓を全部閉めるとか、機内食にはトマトジュースをつけるとか、そんな気づかいはされたくないんだよ。そういうのは、もううんざりなんだ! 人間の優しさには感謝してるけど、たまには普通に生活してみたいんだよ。だから、旅に出るんじゃないか。僕は、ゴルフバッグに入って、普通の旅がしたいんだ!」
 ゴルフバッグに入る時点で、それは普通の旅とは言えないよ。と俺は思ったが、やはり今回も沈黙を守った。
「今回は病院以外の場所では、絶対、吸血鬼手帳を使わないよ! いい?」
「うん…」
 俺はいやいや頷いた。カリフォルニア行きを決めてから、マイクはちょっと人が変わった。いや、吸血鬼が変わった。前はこんなに怒りっぽくなかった。でも、熱いマイクを見るのは、いやじゃなかった。青い空を映したことのないマイクの青い目が、太陽の光に照らされたようにキラキラ光るのを見るのは、楽しかった。
「何がおかしいのさ?」
 マイクが不満げに口を尖らせた。俺は、無意識に一人笑いを漏らしていたようだった。
「…もうカリフォルニアにいるみたいだなって、思って…」 
 奴の目の中にカリフォルニアの太陽を見ながら、そう答えると、マイクもにやりと笑った。



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