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第7章 旅支度
 
「馬鹿野郎、テレビの前を通るなと、何べん言やあ分かるんだ!」
 家に入るとたん、親父の罵声が飛んできたが、俺は構わず自分の部屋にすっこんだ。俺の部屋に行くには、どうしても向かい合った二台のテレビの間を通らなければならなかった。多分、俺を怒鳴りつけるために、そういう配置にしてるんだろう。
 俺は部屋に入ると、例のゴルフバッグを担いで、またすぐ外に出た。
「何をこそこそ、出たり入ったりしてやがる?! そのずた袋の中には何が入ってるんだ?…おい、親が訊いてるんだぞ! ちゃんと答えろ!」
 親父は足が悪いから追っかけてはこない。俺はゆっくりテレビの前を横切ると、玄関から外に出た。そこで、マイクが俺を待っていた。
「うまく行った?」
「うん」
 親父に酒瓶を投げつけられることもなく、バッグを外に持ち出せたんだから、とりあえず俺は頷いておいた。俺達は、旅行に持っていく道具をすべて俺の部屋に隠していた。マイクの家に隠したら、ママに見つかるかもしれないからな。でも、俺の家なら、夏場に生ごみを一ヶ月放置しておいたって大丈夫だ。あのクソ親父が、もっとひどい臭いを発しているからな。
 俺は鞄を肩からおろすと、車輪を地べたに引きずって歩き出した。でも、ぼろ鞄なので車輪がきしみ、まっすぐ引きずることができなかった。これにマイクの重みが加わると、ますます扱いにくくなる。
「ちぇ。やっぱ、新品のを万引きしてこようぜ?」
俺はマイクに提案したが、奴は頑なに首を振った。
「万引きは犯罪だよ」
「鞄に隠れて無賃乗車するのは犯罪じゃないのかよ?!」
 が、奴は俺の問いに答えなかった。なぜかは知らないが、奴は無賃乗車をするというアイディアに旅情を感じているらしかった。これも、何かのホルモンの作用なんじゃないかと思うほど、最近のマイクは、たびたび旅情していた。奴が旅情しているときはすぐに分かった。ズボンのポケットに穴をあけて、授業中にあそこを掻いている馬鹿と同じ表情を顔に浮かべていた。 
「そうそう! バッグの中で読む本を決めたよ」奴は、それが大ニュースであるかのように言った。「ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟にする。あれなら長いし、飽きないし。旅に持っていくのにぴったりの本だよね」
 奴はまた旅情して、うっとりと黙りこんだ。やれやれ。
 俺には旅情している暇なんかなかった。発情している暇さえなかったんじゃないかと、今、振り返ると思う。ゴルフバッグを探してゴミ捨て場を漁ったのも俺だし、近所の中学の視聴覚室から遮光カーテンを盗んできて(マイクにはゴミ捨て場で拾ったと言ってあるが)、吸血鬼用マントを作成したのも俺だった。汚れ仕事はマイク抜きでやったほうが早いし、マイクの家でカーテンを広げてお裁縫ごっこなんかしたら、すぐにママにみつかってしまう。だから俺が張り切るしかなかったのだ。
それで、旅に必要なものは、切符を除いてだいたい揃ったが、やることはまだあった。マイクをゴルフバッグに出し入れする練習をしなければならなかった。今晩も、そのために、俺の家から鞄とマントを外に持ち出したのだった。
ひとけのない空き地に着くと、俺はゴルフバッグの中から吸血鬼用遮光マントを取り出して、マイクに着せた。と言っても、丸く切った黒いぼろカーテンを頭から足まですっぽり被せただけだが、一応、袖もついている。俺が苦心してつけたのだ。もちろん、袖丈はうんと長くしておいたので、マイクの手が日光にさらされることはない。
 俺達は手をつないで、空地を一周した。目の所に覗き穴を開けるわけにはいかないので、マイクは何も見えない状態で、手をひかれて歩く練習をしなければならなかった。日中は基本的にゴルフバッグの中で過ごすとは言え、外に出てマントを被らなければならないこともあるだろうから。
 一周すると立ち止まり、マイクはカーテンを被ったまま、手だけ袖から引きぬく。その状態で、俺はカーテンの裾から、マイクに本を手渡す。マイクはカーテンの下で本を脇に抱えた姿勢で、全身の筋肉を緊張させる。そうやって棒のように固くなったマイクを(本当に鉄のように固くなるのだ)、俺がゴルフバッグに入れてやる。カーテン製のマントがずれないように注意深く、頭から押しこむ(頭を下にした状態で運ばれるほうが楽だとマイクが言うので)。鞄のふたを閉めると、空地を何周かしてから、またふたを開ける。そして、マントの裾がはだけないよう、注意深くマイクを取り出す。俺達は奇術師のように、それを何度も練習した。そして、奇術師のように、その技術に熟練した。
 しかし、問題が起きた。
 そろそろ切符を買おうかと話し合っていた矢先に、ママが、マイクの貯金を勝手に銀行に預けてしまったのだ。通帳もカードも、もちろんママが握っている。敵も警戒しているに違いなかった。
「俺がバイトでもして稼ぐよ」
 俺はそう言ったが、金がたまるまで待っていたら秋になってしまうだろう。俺達は夏に旅したかった。夏なら、病院に行った後、万が一、列車に乗り遅れても野宿できる。それに、やっぱり夏のほうが旅情がある。それは、俺もマイクも同意見だった。
「自転車が欲しいんだけど、危ないからって、ママがどうしても買ってくれないんだよ、パパ」
 マイクは奥の手を使った。三歳児みたいな声を出して公衆電話からパパに電話し、友達の家(俺んち)に金を送ってくれと頼んだのだ。ずいぶん子供に甘い親だと思ったが、これがハリウッド流なのかもしれないし、自分勝手な理由で離婚したことに罪悪感を感じているのかもしれなかった。
「でも、自転車代なんて、たかが知れてるだろ?」
 が、マイクはにやりと笑った。
「君は、パパを分かってない」
 その通りだった。マイクのパパは、大人用のマウンテンバイクだって何台か買えそうな額の小切手を送ってよこした。ヘルメットやサポーターを買うのも忘れずにね、と書かれたカードを添えて。
「サポーターって何用サポーター?」
 俺は、アメフト選手用のサポーターで股間を膨らませた三歳児の姿を想像しながら、マイクに尋ねた。
「何用だろうが、吸血鬼には必要ないよ。男親をだますのは簡単だね。僕が自転車で転んだくらいで、けがするわけないんだから、ママが危ないって言うはずないのに。このお金で切符を買って、僕らがビヴァリーヒルズのパパの家のドアベルを鳴らしたら、パパがどんな顔をして出てくるか楽しみだね」
 奴は、三歳児の顔には不適切と思われる笑みを浮かべた。
 
 これで、俺達の準備はあらかた整った。パパに送ってもらった金で、汽車の切符も買ったし、輸血してもらうことになる病院にも、全部、連絡した。マイクの着替えも、すでに俺の家に運びこみ、ゴルフバッグの底に押しこんである。
あとは出発の夜まで、ママに気づかれないようにするだけだった。でも、これが一番の難関に違いなかった。
「飲み物を持ってきたわよ!」
 出発の三日前の夜、マイクの部屋にいると、ママがドアをノックした。俺達は素早く時刻表をベッドの下に蹴り入れた。
「あなたはコーラでいいわね、トビー?」
 ママは、俺にはコーラとドーナツの乗った皿を、マイクには水だけ差し出した。マイクは、基本的に血液以外の栄養を摂取する必要がなかった。人間の食べ物を食べることはできたが、あまり好きではなかった。
「今日は外に行かないの?」
 ママは立ったまま、コップをすする俺達を眺めていた。
「まだ決めてないんだ。もう少ししたら、出かけるかも…」
 マイクはちらと俺を眺めながら答えた。今晩は、空地で最後のリハーサルをする予定になっていた。奇術師のように優雅に、マイクを鞄に出し入れするために。
「そう。じゃ、今のうちに言っておくけど、明々後日の夜、リンダと四人で、24時間営業のレストランで食事する約束をしたから。あなたは何も食べなくていいわ、マイク。でも、あなたはおなかをすかしておいてね、トビー?」
「勝手に決めないでよ?!」
 マイクが叫んだ。明々後日と言ったら、俺達の出発の日だ。
「悪かったわね、あなた達の予定を聞かずにリンダに返事をしちゃって。でも、動かせない予定なんか、別にないでしょ?」
 ママは肩をすくめた。リンダとは、近所に住んでるママの友達だった。
「困るよ、そんな! 僕らの都合も聞か…」
「何か、予定があるの?」
 ママに言葉を遮られて、マイクはびくりと口を閉じた。ママは何もかも知ってるんだろうか? それで、三日後に食事の予定をぶつけてきたんだろうか? ママの表情からは、何も読み取ることはできなかった。でも、いつもより、ちょっとだけ目が大きく見開かれているような気がした。俺達の表情の些細な変化も見逃すまいというように。
「それは…」
 マイクは言いよどんだ。ここで強硬に反発すると、かえって怪しまれるかもしれない。
「大事な予定があるの? 他の子達と遊ぶ約束をしたとか?」
 マイクはかすかに顔をしかめた。ママは知ってるはずだ。他の友達なんて、一人もいないことを。やっぱり、ママは俺達の計画に感づいていて、カマをかけているんだろうか?
「教えて。どこの家の子達と遊ぶの?」
 ママは優しい口調で言ったが、目は笑っていなかった。ママは勝負を仕掛けてる。俺は確信した。なら、俺達も、勝負に出なければならない。
「…牧師さんと」
 マイクがとっさに答えた。
「まあ、牧師さんと?!」
 ああ、馬鹿め…。確かに牧師は、俺とマイクの数少ない共通の知り合いだが、奴と遊ぶ約束なんかするはずがない。
「…その…」
 マイクはしどろもどろに黙りこみ、ママは眉毛をぐっと持ち上げた。まずいな…
「…俺達、教会のドアにいたずらしたんだ。それがばれたから、明々後日の夜に牧師の説教部屋を掃除しなくちゃならないんだよ…」
 しかたないので、マイクの代わりに俺がでたらめを並べた。こういうことは俺のほうが慣れてる。
「まあ、あなた達、何をしたの?!」
 ママは信心深い人だったので、口に手を当て、上ずった声を上げた。
「…ドアに画鋲でカレンダーを留めたんだ。で、日付に丸をつけて、肛門科、10:30に予約とか、スミスさんにつけを払うとか、いろいろ書いたんだ」
 スミスさんというのは町の雑貨屋で、牧師はそこで甘い菓子をよく買うことで有名だった。それに、椅子に座るとき痛そうな顔をするので、痔主だという噂が昔からあった。
「まあ! なんてことを! 今度、牧師さんにお会いしたら謝らなくっちゃ」
 ママが何に勘づいていたにせよ、疑いは驚きに取って代わられたようだった。もちろん、それは一時的な交代に過ぎないが、俺とマイクはほっとため息を飲みこんだ。でも、今晩は急いで教会に行って、本当にドアにカレンダーを貼りつけてこなければならない。そして、牧師にわざと見つかって、自分達のほうから、三日後の夜にお詫びに掃除をさせてほしいと言わなくてはならない。ママはきっと明日にでも、教会にお詫びに行くだろうから。
 忙しい夜になりそうだった。今日は、リハーサルはできまい。





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