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第8章 予定変更
 
その晩の牧師への裏工作はうまくいったが、次の日にマイクの家に行くと、奴はなぜか浮かぬ顔で俺を迎えた。
「ママに感づかれたのか?」
 でも、さっき玄関で挨拶したとき、ママの様子はいつもと変わりなかった。マイクはげんなり首を振ると、一通の封筒を差し出した。
「今日の昼、これが届いたんだ」 
 宛名はマイクで、差出人の名には合衆国政府の文字が入っていた。
「…政府からの召喚状だよ。僕は今日から五日後の夜に、ボストンの吸血鬼研究機関の本部に行かなきゃならない」
「五日後? 無理だよ! 俺達その頃は西に向かう列車に乗ってるんだから」
 マイクは黙って頷いた。
「断るんだろ?」
 俺は封筒の中を見もせず、マイクに返した。
「…召喚状だって言ったろ? 僕に断る権利はないんだよ。僕は政府のお情けで生存を許されているに過ぎない存在だからね」
 驚きに言葉を失った俺に、マイクは続けた。
「僕は定期的に輸血を受けているだろ? あれはみんな無料なんだ。その代わり、僕らは政府の研究に協力しなければならない。僕らの類まれな生命力と回復力の仕組みを解明し、それを人間の医療に応用するために。たとえば、骨折の治癒を早める薬とか、癌を消す薬を開発するためにね。そんなのがあったらすごいだろ?」
 俺が頷くと、マイクは、ちらと笑った。
「僕も、そんな薬ができたらいいだろうと思って、研究に協力してたんだ。ときどき体液やなんかを採取されたり、体中に電極をつけられたりとかしてさ。いろんなことをした。みんな、人類の医学の発展のためにと思ってね。でも…」
 マイクの顔が、いっそう暗く曇った。
「でも…?」
「でも、本当は、この研究はそんないい目的のためのものじゃなかったんだよ!」
 俺がびくりと首をすくめると、奴は声を低めてつけ足した。
「不老不死の薬を作る研究だったんだ」
「それのどこが悪いんだ…? 素晴らしいじゃないか」
 拍子抜けしてつぶやくと、マイクは突然、怒り出した。
「君達は、どうしてそうなんだ?! 死ねないことや、老いないことの、どこが素晴らしいんだよ? 不老不死の薬とは、永遠に成長できない薬なんだよ! 永遠に変われない薬だってことだよ! それがどんなに苦しいことかは、僕が一番、よく知っている。僕は永遠に発情することもできないし、もしも君やママが死んだら、永遠にその悲しみを抱え続けなきゃいけないんだ。老いが僕の記憶を衰えさせて、僕の気持ちを楽にしてくれることもないんだ! こんなの地獄だよ! 生きながらの地獄だよ!」
 マイクは、小さな体をぶるぶる震わせた。今にも火花を飛ばしそうなマイクに、俺は恐る恐る、こう言った。
「でも…俺やママがその薬を飲んだら、お前が一人ぼっちになることはないじゃないか」
 が、奴はますます怒り狂った。
「君は分かってないよ! 不老不死の恐怖は、孤独だけじゃないんだ! 一番、怖いのは、変われないってことだよ。僕は思春期特有の悩みや喜びを感じることもできないし、中年の危機も理解できないし、老年期の静かな諦めの気持ちを体験することもできない。この地球にあるものは、みんな変わっていく。朝が来て、夜が来て、春が来て、冬が来て…なのに、僕だけ変われない! 永遠に三歳児の甲高い声でしゃべり続けなければならない。僕は変化を体験できない。僕はいろんなことを体験したくて、この世界に生まれてきたのに、僕は成長することも、老いることも、死ぬことも体験できない…!」
 最後のところで、マイクの目がきらりと光ったのを見て、俺はうつむいた。
「…ごめんよ、マイク。お前の気持ちをよく考えもせず、適当なことを言って…」
 マイクはそっと首を振った。
「分からなくて当然だよ。僕こそ、声を張り上げたりしてごめん。君は何も悪くないのに。でも、僕は決めたよ。僕は絶対に、そんな恐ろしい薬を君やママに飲ませたくない。ろくでなしのパパとそのガールフレンド達にもね。そんな薬、絶対に、作っちゃいけないんだ。だから僕は、こんな召喚には応じないよ」
 奴は封筒を振ってみせた。
「…この中に書いてあったんだ。僕が今まで協力してたのは、不老不死プロジェクトだったんだって。そして、研究はあともう一歩で、不老不死の薬が開発できるというところまで来ている。でも、それには僕の脊髄液だか何だかが、絶対に必要なんだってさ。っていうのは、不老不死の薬を作るには、僕みたいな特別に若い吸血鬼の体液が必要で、大人の吸血鬼のじゃだめなんだって。でも、こんなに若い吸血鬼は、この地球上で僕一人だけなんだ。だから、連中には絶対、僕が必要なんだ。でも、僕は、こんな召喚には応じない。分かってくれるよね、トビー?」
 俺は頷いた。
「奴らの言うことなんか聞かなくていいよ」
「予定通り、カリフォルニアに行こう!」
「うん」
 マイクは、今日初めてニッコリ笑った。
「これは僕の、最初で最後の楽しい旅行になるだろう」
「最後の…?」
 また行く機会はあるだろうに。が、奴は上機嫌に頷いた。
「そうだよ、これは僕の最後の旅だよ。文字通りの意味で。だって、僕はカリフォルニアで死ぬんだから」
 は? 瞬きする俺に、奴はまた頷いた。
「だって、そうだろ? 僕はもう政府に協力するのをやめたんだ。だから、輸血を受けることもできないよ。生き延びるために、人間の血を吸って殺すのなんかいやだから、僕は死ぬしかない。明日、病院に行って、最後の輸血を受けたら、その次の日に僕は君と一緒にカリフォルニアに出発し、もう二度と病院には行かない。せいせいするな! 少なくとも十日くらいは生きられると思うよ」
 十日で死ぬってこと…? 呆然とする俺を見ながら、奴は本当に三歳児みたいな、屈託のない笑みを浮かべた。

 マイクは本気だった。奴は死ぬために、カリフォルニアに行くつもりだった。タイムリミットが十日しかないから、列車の切符は明日にでも払い戻して、飛行機の切符を買い直すことにした。
「やっぱり、やめようよ、マイク…」
 ゴルフバッグパフォーマンスのリハーサルをするために、俺の家に二人で向かいながら、俺は言った。いつかの夜、マイクをけっ飛ばそうとしたロニーを、おろおろと止めていたジェイミーみたいなしゃべり方だった。
「今さら、カリフォルニアには行かないって言うの?!」
 マイクも、そのときのロニーみたいに狂った目つきで答えた。
「カリフォルニアには行くよ…。でも、死ぬのはやめようぜ? 輸血は受けようよ」
 が、奴は頑固に首を振った。
「輸血を受けたら、例の召喚にも応じなければならない」
「じゃあ、野生の吸血鬼になればいいじゃないか…?」
 奴はぎろりと俺をにらみつけた。
「そのためには、人間に直接、噛みついて、血を吸わなければならないよ。そしたら、噛みつかれた人も吸血鬼になってしまう。もちろん、その人が死ぬまで血を吸いつくせば別だけど」
 奴はわざと歯をむいて、長い犬歯を俺に見せた。それを見るのは二回目だったが、一回目のときと同じくらい、背筋がぞくっとした。
「そんなこと、したくない。今さら野生に帰ることはできないよ。それに、できたとしても、政府は絶対に野生の吸血鬼を野放しにはしない。永遠に隠れ続けるなんてごめんだ」
 俺がため息をつくと、マイクは急に優しい声で言った。
「…そんなに深刻にならないでよ? これは吸血鬼の運命の一部だよ。原則的に不死である以上、どうしても本気で死にたいなら、自分の意志で、その方法や時期を選ばなければならない。僕の場合は、たまたま、今がそのときってだけだよ。人間と言うのは、つくづく幸せな生き物だよね。死に近づくための努力を何もしなくても、いつか自然に死のほうから訪れてきてくれるんだから」
 奴はうっとりと微笑んだ。
「お前にはまいるよ、マイク…」
「僕もそう思うよ」奴はにっと笑った。「さあ、君の家についた。僕はここで待ってるから、早くゴルフバッグを持ってきてよ。最後の練習をしなくちゃ。カリフォルニアを堪能する前に、日光を浴びて灰になったらたまらないからね」
 俺は奴につつかれて駈け出した。家の中では、相変らずテレビが二台同時についていて、そのまん中に親父が陣取っていた。俺が知る限り、親父は、けして寝なかった。だから狂ってしまったのか、狂っているからそうなのかは知らないが。
 テレビを見ている親父の前を通って部屋に向かっても、今日は罵声が飛んでこなかった。なんか変だな、と思いながらドアを開けると、
「…なんだよ、これはいったい?!」
 俺は敷居の上で叫んで、親父を振り返った。
「静かにしろ、テレビが聞こえねえだろ!」
 俺はクソテレビの電源を切ってから、叫び返した。
「お前、俺の部屋の中にあったもの、どこにやりやがった?!」
 俺は空っぽの部屋を指差して、叫んだ。どろんと血走った親父の目が、にやりと細められた。
「お前の部屋にあったがらくたのことか? あれはお前が出かけた後に、全部、始末してやったよ。くず屋のゲーリーを呼んで片づけてもらった。いくらにもならなかったがな。でも、汽車の切符は、ゲーリーが駅に行って払い戻してくれたし、本に挟んであった金と一緒に、有効に使ったから安心しろ」
「使っただって!?」
 俺の顔色が変わるのを見て、あいつはいっそう、醜い笑みを顔に浮かべた。
「ああ。ゲーリーに頼んで、お前の将来のために投資しといた」
 あいつの投資と言うのは、賭けごとで金をするということを意味していた。それに、よく見ると、部屋のあちこちに酒の瓶が転がっていた。その中には、高そうなウィスキーも混じっていた。マイクのパパの…俺達の金で買ったに違いなかった!
「馬鹿野郎!」
 俺はあいつの肩を突き飛ばした。奴はソファの上であおむけに転がった。
「親に向かって、何をするんだ、クソ野郎! 俺の年金で食ってるくせに、逆らいやがって! 俺は戦争に行って、国のために痛い目にあったんだから、俺が政府に養ってもらうのは当然さ。でも、あのあばずれとお前は別だ! お前達は、あの戦場で、俺の腐った右足にたかっていたウジ虫と同じさ。俺にたかって、俺を食い尽くそうとしてるウジ虫野郎さ! 俺は政府に尽くしたけど、お前はそうじゃない。何もしてないくせに、俺が政府にもらった金を食いつぶしているんだ。お前は、政府のウジ虫だよ!!!」
 奴は怒っているふりをしていたが、残酷な喜びの気持ちを押し隠すことができずに、口の端をひくつかせた。
「俺は政府のウジ虫なんかじゃない!」
 俺は二台のテレビを床につき落としてから、家を飛び出た。
「どうしたの、トビー…?」
 駆け戻る俺の顔を見て、マイクが訊ねた。
「俺も、もう政府の世話にはならないよ」
 俺が震える声で答えると、奴は微笑んだ。
「僕達の考えが一致して嬉しいよ。で、ゴルフバッグはどうしたの…?」
 俺は、すべてが失われたことを告げた。
「ごめんな。俺が油断してたから…」
 が、マイクは首を振った。相変らず笑顔を浮かべながら。
「謝らないで。そのほうが、かえってよかったと思うよ。政府の世話にならないとか言いつつ、パパのお金の世話になってるんじゃかっこ悪いからね。そうじゃない?」
 マイクに問いかけられて、俺は怪訝に目を瞬いた。




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